有年考古館設立趣意書
有年考古館設立準備委員会 1950年6月25日作成
我国最初の郷土誌の一つである「播磨風土記」には、どうしたわけか赤穂郡の記事が見当りません。
われわれ郷土史を研究しようと思うものにとつて、このことはまことに残念なことであり、さびしい限りであります。
どうして赤穂郡が「播磨風土記」の記載から洩れたか、これまでいろいろ研究されて来ましたが、まだ確定的な結論を得るまでには至つていません。
では、我々は、どのようにして古い時代のことを調べたらよいでしようか。
風土記の出来た奈良時代或はそれより以前の古い時代になりますと文献で知ることの出来る事柄は非常に少なくなります。
そして、それよりも、却て、当時の人々がのこしたいろいろの遺物や遺跡によつて、歴史や文化を教えられることが多くなるのです。
赤穂郡についても、遺跡や遺物を研究すること、即ち「考古学」の方面から調査を進めるならば、これまで知られている以上に古代の有様がはつきりして来ます。
私が僅か数年の間に得た経験から言つても、このことは動かせない事実です。しかも、これらの遺跡や遺物は不注意な開墾や土木工事のために破壊湮滅される場合が非常に多く、もし、一旦破壊された場合には、再びもとのものを知ることが出来ません。
われわれの祖先が努力に努力を重ねてつくりあげた貴重な文化財が、こうした心ない人々の鍬先で、次々と失われて来た事実は、わが赤穂郡だけについてみても数えきれぬほどたくさんあります。
この上、いつまでも放置しておいたらどうでしよう。
赤穂郡の古代文化は、伝説や文献の断片によつて僅かに想像するよりほか資料がないことになります。
私はこれを心配し、今のうちに、こうした資料を蒐集保存するとともに、進んで積極的な調査研究をも行い、これまで全く不明であつた赤穂郡の古代史を明らかにしたいと考えたのであります。
「考古館」の設立はこうした仕事の中心機関となる場所となるために、先づ第一に着手されねばならぬことであります。
そして、ここに郡内出土の遺物を蒐集陳列し遺跡のように動かせないものや、他所にあるものは写真、図面等で掲出し、赤穂郡の古文化財にどんなものがあるかを一目でわからせるようにせねばなりません。
一般学界に知られている赤穂郡の考古資料があまり多くない現状から言つて、このこころみが広く県下乃至は国内全般のこうした研究に寄与することの少くないことも当然予想されるところであります。
赤穂郡第一の雄大な規模と優秀な遺物を出す蟻無山古墳に近く「有年考古館」を設立することになつたのは、全く如上の趣旨からにほかありません。
「有年」の名を冠したのは、その所在地を現わしたのであつて、収蔵遺物の範囲は、先づ、赤穂郡内一円を対象としております。
又考古館という名も、最も散佚破壊のおそれの多い考古学資料を第一に収めたい意味からつけたものであります。
しかしながら、赤穂郡の吉代遺物を理解するためには、広く日本の各地に出土するものを一応知つておく必要があります。
又赤穂郡の歴史を知るためにも、古代の遺物ばかりでなく、歴史時代の遺物も陳列する必要があります。
したがつて今後は、こうした方面にまで進め、歴史館、郷土館の性格をも持たせたい考えであります。
けれども、このような計画を進めるにつきましては、到底、私一個の力でやりとげることが出来ません。
広く郡内諸賢の厚い御同情と熱心な御協力があつて、はじめて出来るものであります。
何卒上述しました趣旨に御賛同下さいまして微力なわれわれの上に御力添え下さいますよう懇願して己みません。
昭和二十五年六月
有年考古館設立準備委員会
代表者 松 岡 秀 夫
■赤穂市立有年考古館■
〒678-1181赤穂市有年楢原1164番地1
TEL・FAX:0791-49-3488
午前10時~午後4時開館
火曜日及び年末年始休館
※展示替のため臨時に休館することがあります