赤穂市の文化財関連施設(坂越地域)
旧坂越浦会所
〒678-0172 赤穂市坂越1334番地 TEL 0791-48-7755 開園時間 午前10時〜午後4時 休園日 火曜日(ただし祝日と重なった場合はその翌日) 12月28日〜1月4日 入園無料 |
坂越には、みかんのへた山古墳をはじめとする多くの古墳などが存在するほか、秦河勝漂着伝説など古代にまで遡る伝承も豊富に残されている。これらのことから、この地に集落が形成されはじめたのは古代以前と思われるが、文書等の史料に坂越が登場するのは中世以降からである。
16世紀になると坂越は内海航路の中継地として重要な役割を占めるようになり、江戸時代には廻船業も盛んとなった。とりわけ寛文年間に開設された西廻り航路の発展とともに坂越浦も賑わいをみせ、瀬戸内海有数の廻船業地となった。さらに幕末から明治にかけての赤穂塩業の隆盛とともに坂越浦はその重要度をますます高めることとなった。
旧坂越浦会所は、坂越港と千種川とを結ぶ低い峠越えの中心通り(近世には「大道」といった)を港側に下りきった所に位置し、正面を港に向けまさに町並みの中心に立地している。
現存する史料からその建築年代が天保2年(1831)であることが明かなほか、会所日記などから当時の建物の構造や部屋の利用状況、村落運営までも窺うことができる。さらに、本来「会所」は行政や商業などの事務をとるための施設であるが、この会所は村会所であるとともに、赤穂藩の茶屋的機能を合わせ持っており、藩主の専用の部屋(「観海楼」)が併設されているのが特徴である。
現在坂越湾の周辺は景観形成地区に指定され、町の中心部には伝統的建造物群等による情緒ある町並みが形成されている。旧坂越浦会所の港に面した入母屋屋根は、平入りの町並みのなかでは隣接する奥藤家とともに景観上に得意な位置を占めており、歴史的港町のシンボルとしてその役割は極めて大きい。
以上の理由から平成4年(1992)4月30日、赤穂市指定文化財となる。
観海楼
御成之間は観海楼とも呼ばれ正面棟の2階に位置し、ここから海側への眺望はその名のとおり秀逸である。違棚や付書院などはないが、四尺五寸幅の床の間が設けられている。天井は竿縁、柱は杉材を使用している。会所日記によると、赤穂藩主やその家族達が祭礼見物や釣など遊興の際、たびたび立ち寄り休憩や宿泊に利用しており、藩主専用の部屋であったことがわかっている。
建物概要
- 構造
- 本瓦二階建て、桁行7間、梁間4間の切妻の奥棟と、梁間3間の入母屋屋根の正面棟から構成される寄棟、梁間1間半、桁行1間の玄関庇が付く。
- 延面積
- 1階 164.255u
- 2階 123.592u
- 部屋数
- 1階 8部屋
- 2階 10部屋 5庭
- 敷地面積
- 315.58u
建物の沿革
- 天保2年(1831) 建築を開始し、翌年完成する。以後、明治にかけて坂越浦の会所として使用される。
- 昭和5年(1930) 改造され坂越公会堂となる。
- 平成4年(1992)4月30日 「旧坂越浦会所」として赤穂市指定文化財となる。
- 平成5年(1993)2月から平成6年(1994)6月にかけて復元整備工事を行い同年8月1日に竣工する。