市指定文化財
有年牟礼・山田遺跡方形周溝墓群出土土器
うねむれ・やまだいせきほうけいしゅうこうぼぐんしゅつどどき
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 考古資料
- 数量
- 50点
- 所有者
- 赤穂市
- 指定年月日
- R.5.3.31
- 指定番号
- 63
- 説明
-
本物件は、有年牟礼・山田遺跡において、昭和63年度及び平成23年度の発掘調査時に方形周溝墓群の周溝内から出土した弥生時代終末期の土器群である。
1号墓は南北16.4m、東西20.6mを測る大型方形周溝墓で北西部と北東部にそれぞれ陸橋部をもつ。周溝内から径60p以下の大小の亜角礫が出土したことから貼石が墳丘の4辺すべてに施されていたと考えられる。2号墓は南溝を1号方形周溝墓と共有する、やや小型の方形周溝墓である。後世の削平により遺存状態は良くないが周溝内から亜角礫が出土していることから同じく貼石を施していたと考えられる。
出土遺物の多くは1号墓の南溝で出土しており、特筆すべきものに大型装飾器台・加飾壺・大型二重口縁壺が挙げられる。
大型装飾器台は高さ43.2p、口径46.0pを測り、受け部、胴部、脚部が明瞭に分かれる形状の大型品である。口縁部は拡帳面を成形し、大ぶりで粗雑な鋸歯文を施文している。筒状の胴部には6条の突帯が施され、円形透孔を5〜6方向に穿孔している。一部には赤色顔料が見られるほか、胎土分析から地元産と推定されている。土器の形状や文様から吉備地域との親縁性が考えられ、市内での類例として西約1qにある有年原・田中1号墓出土品が挙げられる。加飾壺はほぼ完全な形で出土しており、器高28.0p、口径22.0pを測る。口縁部に拡帳面を成形し、擬凹線文と円形浮文を、肩部にはやや退化した波状文と直線文が施される。胴部にはタテミガキが施された優品で、胎土分析から河内(生駒西麓)産と推定されている。大型二重口縁壺は推定器高60.0p、口径32.4p、胴部径34.0pを測る大型品である。口縁部に擬凹線文と円形浮文、竹管文を施し、肩部には刻みのある貼付突帯を付すもので、胎土分析から河内(生駒西麓)産と推定されている。
このほか特筆すべきものに、畿内地域における墳墓祭祀の類似例と評価できる、胴部下半に焼成後穿孔された広口壺や、吉備産の甕があり、他地域との関係がうかがえる。また周囲に集落遺跡がないにも関わらず、壺、甕、鉢、高杯など一般的な什器が出土していることから、飲食を伴った儀礼の存在も推定できよう。本土器群の時期は弥生時代終末期(庄内式前半)で、方形周溝墓の築造時期を示していると考えられる。 本来、方形周溝墓は摂津・河内地域など畿内地域を起源として発展する墓制である。本事例は、周溝の隅部に掘り残しを設ける点や胴部下半に焼成後穿孔した広口壺を供献するなど畿内地域の方形周溝墓の特徴を備えている。
しかし弥生時代後期までの有年地区は、東瀬戸内地域を起源とする円形周溝墓の墓制を採用する地域に含まれていた。あわせて、吉備地域から西播磨地域にかけては、円形墓に突出部をもつ墳形の創出や埋葬祭祀の際に壺を高く捧げる器台形式を採用するなど、前方後円墳を生み出した地域の1つとして注目されてきた。なかでも有年原・田中遺跡1号墓は突出部と陸橋部を備えた円形墓であり、吉備地域の系譜を引く大型装飾壺と大型装飾器台が出土したことから全国的に見て重要な遺跡と評価されている。
一方、有年牟礼・山田遺跡1号墓は、墓の形は陸橋部や貼石を備えた方形周溝墓に変化し、出土土器は河内(生駒西麓)をはじめとした畿内地域や吉備地域の土器が入り混じった様相を呈しているが、加飾壺・大型装飾器台を用いる点で有年原・田中遺跡1号墓の祭祀形式を継承している。
このように、本資料は、墓の形の変化からだけでなく、吉備的な特徴を持つ在地的様相を示す土器から、河内地域を含めた広域の土器が埋葬祭祀に用いられているという点で、在来の墓制要素と畿内地域の要素が共存しながら、古墳時代へと繋がることを如実に示しており、弥生時代から古墳時代の転換期における埋葬祭祀形式の地域的変遷を明確に追うことができる貴重な事例として評価できる。
上記理由から、本件を赤穂市指定有形文化財として指定することが相応しいと考える。
(上記は指定時の文章です)