市指定文化財
赤穂八幡宮神幸式の頭人行列
(付)祭礼次第等文書75点
あこうはちまんぐうしんこうしきのとうにんぎょうれつ
(つけたり)さいれいしだいとうもんじょななじゅうごてん
- 区分
- 無形民俗文化財
- 種別
- 風俗慣習
- 数量
- 所有者
- 尾崎地区自治会連合会
- 指定年月日
- 平成23年10月5日
- 指定番号
- 57
- 説明
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赤穂八幡宮は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后を祀る神社であり、慶長年間に垂水半左衛門が戸島より現在地に遷座したと伝えられる。正保2年(1645年)赤穂城主となった浅野長直は、社領加増をはじめ種々の寄進をしている。以後浅野家三代の崇敬を受け、改易後も領主から崇敬を受けてきている。
赤穂八幡宮の神幸式は、祭神を乗せた神輿が御旅所との間を往復するというものであり、尾崎一番頭人、尾崎二番頭人、鼻高を先頭とした獅子舞、長刀持ち、奏楽、真榊、鉾、盾、一番神輿、二番神輿、三番神輿、斎主、斎員、傘持ち、氏子総代、子供神輿、子供屋台、西町屋台、高須屋台の順で繰り出される。
神幸式の中心となる頭人行列について、『八幡宮当人覚』には寛文元年(1661年)から明治9年(1876年)までの頭人が記録されており、また赤穂八幡宮の神宮寺であった如来寺が所蔵する貞享5年(1688年)の『八幡宮神事行列次第』及び赤穂八幡宮が所蔵する天保10年(1839年)の『八幡宮神輿出御供奉之次第』等の昭和58年(1983年)までの神幸式の次第等の文書は75点を数え、これらの文書により、赤穂城が完成した寛文元年から頭人行列が行われ、祭礼の形態は時代の流れとともに変化してはいるものの、頭人行列は現在に至っても地域の人々により脈々と受け継がれてきていることがわかる。
貞享5年(1688年)では、頭人を出した地域は、尾崎村6人、中村3人、南野中村・北野中村1人、砂子村1人、木津村1人、目坂村・根木村1人、高野村・高谷村1人、加里屋4人、坂越浦1人、浜市村2人、塩屋村3人、野中村1人であり、明治11年(1878年)には、尾崎村6人、中村3人、北野中村1人、砂子村1人、浜市村1人、木津村1人、目坂村1人、高野村1人、加里屋町3人、鷆和村真木1人、塩屋村3人、鷆和村鳥撫1人、大正5年(1916年)では、尾崎村6人、中村2人、坂越村南野中1人、坂越村浜市1人、高雄村木津1人、高雄村根木1人、坂越村高野1人、四月当1人、塩屋村1人、赤穂町加里屋3人となっている。また、昭和11年(1936年)になると、尾崎村6人、赤穂町中広1人、赤穂町加里屋3人、坂越町南野中1人、坂越町浜市1人、高雄村木津1人、高雄村目坂1人、坂越町高野1人、四月当1人、塩屋村1人と、多少参加する地域の数が減ってはいるが、赤穂南部の多くの地域が祭りに関わっていることがわかる。
祭りは、例年10月15日に行われていたが、現在は15日が平日の場合は15日以降の直近の日曜日に実施されている。神幸式の中心となる頭人行列は、主に長刀持ち1人、宰領2人、頭人1人、頭人担ぎ1人、台傘持ち1人、頭家1人、家族・親族(男性供連れ・女性供連れ)数人、胡床担ぎ1人、雨儀用傘持ち1人、茶弁当持ち1人、道覧籠持ち1人で構成されている。
尾崎地区の頭人の選出については、戦前は「個人頭」で、浜人など「ダンナシ(旦那衆)」といわれる資産家の家から6軒が選出され、しかも尾崎は「三年頭」で、一度頭があたると3年間頭人を務めなければならなかった。費用は飲食費のみならず、頭人飾り道具、什器類、衣装の新調等すべて頭人行事の費用を賄った。そのため、「頭があたると身上を潰す」と言われるくらい莫大な費用を散財した。また、戦前は6人を選出していたが、戦後は3人になり、昭和45、46年(1970、1971年)頃から徐々に町内から頭人を選出する「町頭」に移行し、昭和50年(1975年)頃より頭人は2人選出となっている。そして、現在は自治会が引き受け、当番制により2自治会より頭人を選出して各自治会全員で行事を実施している。尾崎地区は17の自治会に分かれており、8年毎に頭人があたることになっている。
赤穂八幡宮の神幸式は、約350年の歴史があり、尾崎の人々だけでなく赤穂南部地域の人々が守り続けてきた祭りであったが、神幸式全体も時代の流れとともに規模が縮小され、かつては、頭人を出す地域はほぼ赤穂南部全域に及んでいたが、近年では尾崎、中広、加里屋の3地域になり、現在では毎年頭人を出しているのは尾崎地区だけとなってしまっている。しかしながら、尾崎地区では地域住民が互いに連絡を取り合って協力し、ややもすれば希薄になりがちな人間関係が、頭人行事をとおして密になり、人々に連帯意識を芽生えさせるものとなっている。
現在の頭人行列の構成・内容が、いつ頃のものを保っているか定かにはしえないが、頭人行列のために購入した衣装・諸道具の記載が見られる明治34年(1901年)の『壹番頭諸入用控』や、現存する当時の頭人衣装、頭人集団の様子が写された昭和3年(1928年)の古写真等の資料から、少なくとも近代以降、現在に至るまでほぼ同様の行列形態が保たれていると判断される。
赤穂八幡宮神幸式の頭人行列は、市内の神社祭礼で行われる頭人行列と比較しても、神幸式における役割と規模は大きく、最も古い形態が唯一保持されているものであり、当地域の祭礼を特色づける貴重な無形民俗文化財として、市の指定文化財に相応しいものである。
また、前述した祭礼次第文書等についても、頭人行列の歴史をうかがい知ることのできる極めて貴重な資料であり、あわせて指定されることが望ましい。 - ※頭人行列の構成
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- 長刀持ち・・・・・・・1人
- 宰領・・・・・・・・・・・2人
- 頭人・・・・・・・・・・・1人
- 頭人担ぎ・・・・・・・1人
- 傘持ち・・・・・・・・・1人
- 胡床担ぎ・・・・・・・1人
- 雨儀用傘持ち・・・1人
- 頭家・・・・・・・・・・・1人
- 家族・親族・・・・・・数人
- 茶弁当持ち・・・・・1人
- 道覧籠持ち・・・・・1人
(上記は指定時の文章です)