市指定文化財
赤穂浜鋤き唄
あこうはますきうた
- 区分
- 無形民俗文化財
- 種別
- 民俗芸能
- 数量
- ―
- 所有者
- 赤穂浜鋤き唄保存会
- 指定年月日
- 平成19年11月22日
- 指定番号
- 52
- 説明
-
浜鋤きとは、塩田作業の一つで、休み明け(冬季休業明け)などに、海水の上昇を促すため、牛犂・鉄万鍬(歯の部分が金属製の万鍬)などの用具を用いて、固くなった地盤を掘り返す作業のことである。その際、浜男たちによる作業唄が「浜鋤唄」である。
昭和40年から48年にかけて製塩地に伝わる労働唄を調査した赤松秀幸氏は、各地の労働唄及び千種川流域の「石つき唄」の旋律に同一性がみえることから、瀬戸内の広い地域で「浜鋤唄」を基にした労働唄が唄われていたと指摘している。また「浜鋤唄」にみられる七七七五調(近世小唄調)は、平安末期の今様半形(七五七五調)に近世初頭の遊里唄(七七七七の片撥調)の影響をうけて形成されたもの、あるいは室町期の小歌に安土桃山期の阿国歌舞伎(七五七五調)や近世初頭の遊里唄が影響して形成されたものと推測している。ちなみに囃子の「ナンジャイひょうたん」は、戦国末期に進出した豊臣秀吉の馬印(千成瓢箪)を風刺したものという言い伝えがある。
以上のことから、「浜鋤唄」が生まれた時期、その出現した場所、伝播の経路などは不明であるが、遅くとも江戸時代の中頃(18世紀)から、赤穂塩田で働く人々(浜子・浜男)によって唄い続けられてきたものと判断してよい。
かつて赤穂南部の基幹産業であった製塩業に携わってきた人たちの風俗・習慣・労働などの上に芽生えたものであり、それらの人々の素朴で自由な生活感情を歌ったもので、貴重な文化遺産である。
現在、保存会では昭和41年に赤松氏が採譜した「浜鋤唄」を元唄にし、これを民謡風にアレンジしたものを新唄とし、塩田労働への理解を得るために「作業踊り」を演じている。このうち新唄には尺八・三味線などの伴奏が加えられ、また「作業踊り」は「寄せ浜」(塩分の付着した砂を集める 作業)を再現したものである。いずれも元来の「浜鋤」とは次元の異なるものである。誤解を招くおそれがあるので、文化財に指定するのはあくまで元唄であり、これを正確に伝承していくものとして保存会の活動を認めたい。また今回の調査で、NHKによる昭和14年の採譜を収録することが出来た。この譜面と赤松氏のそれとには音程・リズムに若干の違いはあるが、旋律は同一性が認められる。昭和14年の採譜は、確認できる最古のものであるので、この譜面で保存・伝承していくことを条件に、赤穂市の文化財に指定することの意義を認めるものである。
(上記は指定時の文章です)