市指定文化財
坂越盆踊り
さこしぼんおどり
- 区分
- 無形民俗文化財
- 種別
- 民俗芸能
- 数量
- ―
- 所有者
- 坂越盆踊り保存会
- 指定年月日
- 平成19年3月30日
- 指定番号
- 51
- 説明
- 1.沿革
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寛永16年(1639)伊予国青島(当時は馬島)に移住した坂越浦の漁師与七郎ら16家族が、ふるさと坂越を偲んで始めたという盆踊りが青島に伝わっている。亡者踊りと称する先祖供養の踊りは、義士の装束で踊り、大漁踊りも曲に合わせた衣装を着て踊っている。(愛媛県指定文化財)
17世紀には坂越でも青島と同じような踊りがなされていたと推測される。
楢原村文書には、尾崎の八幡宮をはじめとする祭礼に関しての御触が散見される。安永8年(1779)の『御用御触書写帳』には「村々ニ而祭り之節若者共寄り集歌舞妓様之事致候儀は、先達而急度停止と被仰付候、然所近頃ニ而はにわか杯と名附候而歌舞妓ニ似寄候事致候村方有之様ニ相聞え不埒之事ニ候、此巳後右躰之事致候村於有之候は遂詮議庄屋年寄等迄御咎被仰付候間、左様可被相心得候」とあり、天明7年(1787)、天明8年(1788)、享和4年(1804)、文化4年(1807)には質素節倹に努めるべき旨の御触が出されている。また、文政7年(1824)の『御触書読渡御請印形帳』には、「一 盆中町在踊御年限中無用之事、一 神事仏事共相成丈可致省略候事、・・・(中略)・・・村々小祭ニ至迄右ニ准諸事質素ニして獅子舞神前斗ニ而為舞可申事」などとあり、秋祭りのみならず盆踊り・報恩講なども質素にという御触が出されている。
こうしたなか坂越でも、享和3年(1803)の『御役用諸事控』に、踊りは2ヵ所でなされ、取締りを受けているという記録がある。
その後、明治、大正、昭和と継承されてきたが、大戦中は中断、戦後は青年団などで復活。
昭和47年には、妙道寺本堂屋根葺き替え、納骨堂建築の落慶法要記念の盆踊りが開催され、仮装して盛大に行われている。
昭和52年には、「坂越盆踊り保存会」が結成され、現在に至っている。 - 2.盆踊り
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(1) 日時
以前はお盆から地蔵盆まで行われていたようであるが、現在は8月上旬の「たこ祭り」と西之町の地蔵盆(8月23日)で踊られている。
(2) 特徴
道路片側に音頭棚を設け、三味線、尺八、樽太鼓(4斗酒樽)による囃子に合わせて唄い踊り手は音頭棚の前で対向して2列になって踊る。地形的に広い場所のなかった坂越浦は、本町の海に面した通りで、仮装をして、2列が互いに交差しながら踊る。大波小波が打ち寄せる様子を表した振り付けの踊りは、素朴で威勢のよいものである。
(3) 用具
- 音頭棚 道路の片隅に組み立てる。
- 樽太鼓 4斗酒樽を用い、踊る前に水に浸けて湿らせておく。
- 三味線
- 尺八
「おなつ清十郎」「赤間がせき」「さいの河原」「助六あげ巻き」「関取千両幟」「石童丸」「鈴木もんど」「那須の与一」「おしゅん伝兵衛」「山田のつゆ」「平井権八」「阿波の鳴門」「えびや甚句」「児島高徳」「赤垣源蔵」などがある。
(5) 保持者 (平成19年現在)
- 唄 2名
- 三味線 4名
- 尺八 1名
- 樽太鼓 2名
- 踊り 3名 他(保存会会員 約70名)
- 3.意義と価値
- 坂越の祭りには音曲がつきものであった。秋の船祭りには「船檀尻」が出されたり、トンド(左義長)には鳥井の「曳きトンド」があって、鳴り物入りで曳いていた。また、大正3年(1914)の「児島贈従三位之碑」建碑のための石曳きも鳴り物入りで盛大に行われている。しかし鳴り物入りで行われる行事は次第に消え、現在かろうじて残されているのは「船檀尻囃子」と「盆踊り」のみである。
(上記は指定時の文章です)