市指定文化財
東有年八幡神社頭人行事
(付)東有年鎮座八幡神社祭礼絵馬 1面
ひがしうねはちまんじんじゃとうにんぎょうじ
(つけたり)ひがしうねちんざはちまんじんじゃさいれいえまいちめん
- 区分
- 無形民俗文化財
- 種別
- 風俗慣習
- 数量
- ―
- 所有者
- 東有年八幡神社頭人祭保存会
- 指定年月日
- 平成18年3月31日
- 指定番号
- 49
- 説明
- 1.神社の由来
- 神社の起源を示す記録はのこっていない。元竹万(上郡町)に祀られていた八幡神社のご神体が、ある年の八朔の日に安室川の洪水で流され、現お旅所付近の老松に引っ掛かっていたものを祀ったとされ、しばらくこの付近で祀られ、のちに現神社地に移されたという。
斎戒沐浴のため安室に赴くことについては、安室の人は、有年の人々が八幡神社を祀っているおかげで幸せに暮らしている様子をみて元の八幡地へ返してほしいといってきたが、有年の人は返さなかった。ある年有年の地で伝染病が流行した。これは神の怒りにふれたと、純真無垢な児童を八幡地へ送って斎戒沐浴させたところ、伝染病はおさまった。これ以来、八幡地へ童子を送る行事が続き、オハケ行事が続いているといういわれがある。
祭礼についての記録には、
『播州赤穂郡志』(延享4年1747年)に「栗栖 八幡宮 田三反除地 年代不詳 神輿三所在氏村 中山東有年」とある。
『赤穂郡誌』(明治41年1908年)には、「金幣 三旒 元禄十三年八月十五日東有年氏子ノ寄附ナリ」とある。
「祭礼絵馬」には文政元年(1818年)の年号があり、神輿3基には文化2年(1805年)、鳥居には延享元年(1744)などの年号がある。
絵馬には、八幡神社下から東有年街道筋にくり出されていた秋季例祭の行列が描かれており、当時の祭りの様子がうかがえることから、江戸期後半には現在のような祭礼であったのではないかと推測される。 - 2.頭人の選出
- 頭人の選出について明治以前は不明。かっては紀元節(2月11日)に抽選で頭人を選出していたが、現在は裏祭りとしての荒神祭(例祭の翌日)に、満4〜7歳の男児の中から抽選で選出している。
頭人の任期は3年で、1年目を初頭、2年目を中頭、3年目を上がり頭として、秋季例祭に頭人として奉仕する。
初頭人になると、八朔までに宅神祭に使用する部屋を新しくし、その日を待つ。 - 3.初頭人を中心とした行事
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(1) 田植え祭(夏至の中日)
初頭人最初の行事。夏至の中の日に神饌田の田植えがある。以前は3反除地の田があったが現在は2坪ほどの田で行っている。「田植えはチュウから」と伝えられており、田植えの始まりでもあった。初頭人はお祓いを受け、田の畦に榊、お神酒や煎り豆などをお供えした後、田植えをする。終わると、集まった人々に煎り豆を肴にお神酒が振舞われる。「マメで働いて秋には豊作であるように」と祈りが込められている。現在は袋菓子が振舞われている。
(2) 八朔祭(八朔、旧暦8月1日)
八朔の行事は、初頭人の最も大切な行事である。八朔のころは、稲が実をつける大切な時期であり、また風水害が多発する時期でもある。農民は八朔の日を「田の実の日」とか「田の実の節句」とよび、豊作を氏神に祈る日とする風習があるが、八朔の行事はこれと八幡信仰とが結びついたものと思われる。この行事は、初頭人だけでなく、頭人組(頭人を出した地区)が総出で行う。
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【イ】 トリノコづくり
- オハケ・・・真麻の茎の繊維で漉いた紙でつくった紙垂を、細く短い竹(約90cm)に挟んで御幣60本(120本、閏年は130本、現在はその半数)をつくり、それを麻紐で束ねてひとつにし、大青竹の先に結び付ける。
- しめ縄・・・神社門柱の大しめ縄、中しめ縄、囲いの木枠を取り囲むしめ縄をつくる。大しめ縄には新稲穂が添えられる。縄を縒るのは左縒り。しめ縄が早く朽ち切れると、その年は雨が多く水害の恐れがある、という。
- 囲い・・・・頭屋の前に木枠を組み、次に木枠を竹や木で囲む。囲いの中に玉石(かつては河原の「こげ(芝生)」を敷きつめて聖域とする。準備ができるとオハケを大青竹に結び付けて囲いの中に立てて固定し、囲いの周りにしめ縄を張る。縄は七五三で結わえる。
トリノコは卵の形をしたもち米だけの赤飯のおにぎり。塩は一切使用しない。1〜1.5俵分のトリノコを作る。豊作と子孫繁栄の願いが込められたもので、八朔祭の前夜頭人組全員の共同作業で作り、竹万の河原での禊ぎの後とオハケの立った後に、集まった人々に配られる。トリノコを食べるとこの年は疫病にかからないと言われている。
【ロ】 初頭人の禊ぎ
安室川の竹万の河原で斎戒沐浴して身を清める行事。早朝出かけて禊ぎをし、帰ってくると社務所で待機。かって頭人は神の子として地におろさず、親だけでなく近親者が交代で肩車をし出かけていたという。 初頭人は「神の子」として扱われ、この日から精進生活に入り秋季例祭まで毎朝神社に参拝する。
【ハ】 オハケ
オハケとは笹竹や榊の先に大きな御幣をつけたもので、頭屋の前に立て、神の降臨の標としたものである。
八朔の日に、オハケ・しめ縄・囲いなどを組みの人々が作業分担してつくる。
オハケが立つと神社に待機していた頭人の一行は頭屋に帰ってくる。オハケが立つのをみて集まった人々に初頭人の家ではトリノコを配る。 その後、頭人3人と役員、親戚の人たちで宅神祭が行われ、八朔の行事終了。 - 4.秋季例祭
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秋季例祭は、3人の頭人が任務にあたる。
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(1) 宵宮
宵宮はオゴクつくりと夕方の神事が行われる。
早朝よりオゴクをつくる。オゴクは3升3合3勺の粳米の粉を蒸して、食用油を混ぜて搗いてつくる。頭人を含めた男性による作業です。神事は拝殿で行われ、オゴクは夕方の神事前に薦に包んでお供えし、例祭終了後、村内の全戸に配られる。オゴクを食べるとその年の災厄から免れる、という。
(2) 宮出し
例祭は、現在は10月10日前後の土・日曜日(明治ごろは旧暦10月15日、その後は10月24日)に実施している。
神事の後、屋台1台、神輿3基(3人の頭人が乗る)の神幸行列がお旅所(ご神体が流れ着いた場所とされている所)に向かう。お旅所で野宴を張り、余興を楽しむ。
(3) 宮入り
午後3時頃、流鏑馬の名残の神事が終わるとオハケを倒し、宮入りの行列になる。山上の拝殿で式典が行われ、例祭は終了する。
「祭礼絵馬」に描かれている行列は、宮入りのものと思われる。
秋季例祭をもってこの年の頭人の役目が修了する。
(4) 荒神祭
裏祭りは荒神・水神の神事があり、その後に次期初頭人の抽選が行われる。 - (付)東有年鎮座八幡神社祭礼絵馬
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この絵馬は、山頂の八幡神社から東有年の街道筋を、神輿がお旅所まで練り歩く様子を描いたもので、全体に剥落が激しいが、全体的にその姿を確認することができる。
絵馬の表面には「文政元寅年八月日 維嶽 (印)」、裏面には「願主鳶屋治平 庄屋直三郎・・・」などと奉納者17名の氏名が墨書きされている。「維嶽」はこの絵馬を描いた絵師、「鳶屋治平」は版元であると考えられる。
全体に剥落が激しく、年代も比較的新しいが、市指定無形民俗文化財である東有年八幡神社頭人行事の江戸時代後期の様子を傍証できる貴重な資料であるため、付(つけたり)とすることが妥当とされた。
(上記は指定時の文章です)