市指定文化財
真光寺旧蔵・柴原家文書
しんこうじきゅうぞう・しばはらけもんじょ
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 古文書類
- 数量
- 一括
- 所有者
- 赤穂市教育委員会
- 指定年月日
- 平成18年3月30日
- 指定番号
- 48
- 説明
-
当古文書は、西浜塩田最大の塩業者であり、かつ近世にあって赤穂藩の御蔵元役として藩財政の一翼を担い、代々塩屋村大庄屋を世襲していた柴原家が所蔵していた古文書類である。明治39年(1906年)に同家が破産した時、古文書の散逸を憂いた真光寺(浄土真宗本願寺派 赤穂市塩屋512番地)の住職(村上善巧)が譲り受けて保管されていたものである(平成11年1月、赤穂市に寄贈)。点数は1万1千点を超える膨大なもので、年代も元和7年(1621年)から明治36年(1903年)までの長期間にわたるものである。
当古文書の所蔵者であった柴原家(浜野屋)は、当初尾崎姓を名乗っていたが、元禄年間(1688〜1704年)に尾崎村から塩屋村の移住、尾崎甚兵衛包安の養子甚兵衛昌長の時に柴原姓に改めたと伝えられている。寛文年間(1661〜1673年)から酒造業に従事し、米問屋や製塩燃料を取り扱う木問屋を営んでいたが、18世紀初頭から多角経営に乗り出したようで、宝暦13年(1763年)には金融業・地主経営のほか、味噌・酢・醤油・塩・米穀・竹・材木などを取り扱うまでになっている。さらに明和2年(1765年)に赤穂藩の要請を受け新規開発塩田(南浜)に出資してから積極的に塩田の集積に乗り出し、文化年間(1804 〜1818年)には田畑23町歩、塩田28町歩余、大坂に掛屋敷3軒、その他借家を多数所有するなどの豪商にまで成長。この間、赤穂藩の御蔵元役に就任し藩財政の一翼を担った。また村政にあっては大庄屋を世襲し、真光寺・阿弥陀堂・荒神社などの各種造営に多額の資金援助を、さらに飢饉や災害のあった年には米・麦の炊き出しや義援金を拠出して難民の救援にあたっている。
明治に入っても隆盛は続き、明治26年(1893年)の郡内資産家所有見込表では、坂越の奥藤家と共に他を圧倒するほどの財力を示していたが、諸産業・企業への積極的な投資が裏目に出たようで明治33年(1900年)に経営危機に陥り、明治39年(1906年)破産した。その後、同家が所蔵していた古文書類の経緯については前述したとおりである。
同文書のうち、中核をなすのは「柴原家年中用事控」である。これは寛延元年(1748年)から慶応元年(1865年)まで、義民・安常・安迪の三代120年に及ぶ記録で、その内容は蔵元役として関わった藩財政改革のこと、大庄屋としての役割のこと、天災に関する救援のこと藩が出した諸法令のこと、塩田地主・塩問屋としての経営に関することなどが広範囲に記されている。
以上のことから、当古文書は赤穂藩の財政改革を研究するうえで貴重な資料であり文化財に指定された。
(上記は指定時の文章です)