市指定文化財
井口半蔵・木村孫右衛門連署起請文
いぐちはんぞう・きむらまごえもんれんしょきしょうもん
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 歴史資料
- 数量
- 1点
- 所有者
- 赤穂市教育委員会
(管理者) 歴史博物館 - 指定年月日
- 平成17年3月24日
- 指定番号
- 47
- 説明
-
旧浅野家中の井口半蔵(使番200石)と木村孫右衛門(宗門改奉行200石)が連署で大石内蔵助に差し出した起請文(28.4cm×50.9cm)である。元禄15年4月21日付けでしたためられているが、両人は同年8月に同志から離脱している。大石が貝賀弥左衛門・大高源五を使いにたて、起請文を返却したものである。
前書きは白紙に書き、神文の部分は熊野牛玉宝印(ごおうほういん)紙を用い、血判も見られる。なお、牛玉宝印を版木で刷った紙背に神文を書くのが本来の作法であったが、時代が下ると表に書く例も見られるようになる。当資料は表に書いている。牛玉宝印紙は熊野社の眷属(けんぞく)である鴉(からす)を墨刷りしたもので、5ヶ所に朱印が押されている。牛玉宝印は各地の熊野神社で版刷りしており入手しやすいものであったようだ。
さて、前書きの内容は「遺変無く申し合わせの本意を達する」旨に「この事は一切洩らさない」ことを付け加えたもので、肝腎の申し合わせの内容は記されていない。これは他人の目に触れることを警戒したためでもあろうか。起請文は、本来は神仏に対する誓約であり、神仏の前で燃やしその灰を飲んでいたものであるが、時代が下り戦国時代になると、特定の人に対して(当資料では大石内蔵助)の誓約となり、保管されることが前提になったためであろう。現に貝賀・大高がこれを懐にし京都から赤穂まで旅しているくらいであるから、最初から具体的な内容は書かないように申し合わせがあったのかもしれない。
案文ではあるが、元禄事件にかかわる誓紙の内容をうかがうことのできる資料(赤穂市立歴史博物館所蔵「早水家文書」)がもう一点現存する。最初から大石に同意していた早水藤左衛門が赤穂開城後まもない元禄14年5月3日にしたためた起請文の案文がそれである。これには「御了簡次第御指図相待罷有候」とあり、大石の指図を待つことを誓うのみで、それ以上の具体的な文言はない。
元禄15年12月14日に吉良邸討ち入りに参加した義士の起請文は、引揚げ後の所持品中に記載がないことから、現存する可能性はたいへん低いと考えられる。あるいは、討ち入り前に古式どおり燃やしたとも考えられる。
したがって、当史料は、討ち入りに参加しなかった者に返却された起請文ではあるが、元禄事件にかかわる唯一の現存するもので、たいへんに貴重な資料であると考える。
(上記は指定時の文章です)