市指定文化財
前句集額
まえくしゅうがく
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 歴史資料
- 数量
- 1面
- 所有者
- 大避神社
(管理者)西有年自治会 - 指定年月日
- 平成14年3月29日
- 指定番号
- 40
- 説明
-
西有年大避神社は別名を野々宮ともいわれ、【播磨鑑】(宝暦12年刊)に「赤穂郡内数ヶ所に勧請す、有年の野々宮・岩木の宮等也」とある古社であり、境内南にある須賀神社本殿の床下から、義士肖像絵馬(明治26年)・句集額(明治11年)が発見されたものである。
額面は一枚板で、横181cm、縦36.5cmを測る。斜めに取り付けられた幅7cmの縁板を含めた額面の大きさは横185cm、縦47cmである。一部、新材料で補修されているが全体の保存状態は良好で、明和5年(1768年)記銘が読み取れる。
前句は冠句・かんむりづけ・笠付・鳥帽子付などともいわれ、元禄時代から庶民文芸として流行した雑俳の一種であり、この前句集額は赤穂市域では最も古いものである。
句集額には「四季句」として後句が7句出題され、これをうけた前句が25句読まれている。肩書きにサコシ(坂越)、ムレ(有年牟礼)、キツ(木津)、ナカムラ(中広)、ヨイ(与井)、マナコ(砂子)、ヲサキ(尾崎)などの在地を示した地名がある。また、肩書きが記載されていないものは、有年周辺の者達であったと推測される。選定者に姫路の芳麿(人物不詳)があたっていることから、姫路の俳壇との交流が深かったことがわかる。主宰者は琴亭、登仙と号しているが、いずれも人物を特定することはできない。塩屋村で塩問屋を営んでいた浜野屋(柴原幾左衛門安常)が琴吹と号しているから、赤穂では「琴」の字を使用する俳壇があったことが推測される。
前句集額は、奉納絵馬として特別古いものではなく、歴史上著名である人物が関与したものでもないが、庶民文芸の実情が窺い知れるものとして興味深いものがある。延享4年(1747年)藩主となった五代忠洪は儒者赤松滄州、蘭室を起用した。上昇する商人や農民と接触の多い文芸化人を登用し、彼らとの共生関係を作りだすことで藩政改革に乗り出した為、藩内では文芸復興ともいうべき雰囲気が醸しだされた。藩主忠洪も秋香亭・傘露の俳号をもち「秋香亭句集」を編んでいることから、身分を越えて文芸(漢詩文・和歌・茶道・俳諧)を嗜む者が続出することになった。
このように前句集額は、当時の文芸隆盛の様子が窺える貴重な資料であり、赤穂市において歴史上意義が深いものである。
(上記は指定時の文章です)