市指定文化財
赤穂東浜信用購買利用組合文書
あこうひがしはましんようこうばいりようくみあいもんじょ
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 歴史資料
- 数量
- 一括
- 所有者
- 赤穂市教育委員会
(管理者)歴史博物館 - 指定年月日
- 平成12年3月31日
- 指定番号
- 37
- 説明
-
古代から続いた東浜の製塩は、近世初頭から入浜塩田法となり、明治専売発足時(明治38年[1905] )には152町4反2畝21歩、生産高133,000石(明治43年[1910] )であった。専売制度下で大正13年(1924年)赤穂東浜信用購買利用組合が成立したが、この組合の昭和47年の解散までの約半世紀の記録がこの文書であり、日本の製塩業における激動と産業革命―大正昭和を概説する貴重な史料である。
すなわち、化学工業の発達と生産費上昇に対応するための、専売目的の公益専売への転換。大正期の製塩技法の改良・採鹹用具・煎熬釜の改良。第一次大戦と生産費の暴騰、小料引き上げ問題。副産物(苦汁)工業の勃興。労働組合の結成と塩業組合との協定、非能率塩田の整理、昭和9年(1934)の労賃形態の近代化(米から貨幣へ)。昭和12年(1937)からの戦争協力体制への方向。製塩燃料・資材・食料不足への対応。昭和13年(1938)の合同煎熬工場の設立。昭和16年(1941)からの労働力・資材不足の中での製塩、増産奨励、製塩関係者の応召・入隊などの対応。労働者の食糧事情。労働節約のための砂層貫流式塩田の築造。照和17年(1942)からの塩割当配給制度。さらに昭和18年(1943)の学生勤労報国隊・勤労奉仕隊の出動。昭和19年(1944)の労務不足からの四ッ一持(よついちもち)の出現、国民学校。青年学校への塩増産対策の指示、生産怠漫への対応、増産報償金の交付。昭和20年(1945)の自給製塩。敗戦後の塩事情と労働事情。委託煎熬。流下式枝条架法の採用さらにイオン交換膜製塩法への転換=塩業の産業革命。
以上のような近代塩業の展開を如実に語るのみではなく、御崎・尾崎の生活の実態をも語る史料として価値ある文書である。また昭和47年(1972)同時に解散した瀬戸内その他の塩業組合では、一・二の組合を除いて、殆どの文書を焼却されており、この史料は赤穂塩業史のみでなく、他地方の近代塩業史料としても価値あるものとなっている。従ってこの1,395点の文書は、赤穂市の文化財として永久に保存しなければならない。なお、これに加えて「西浜史料」26点、専売技官であった糸雅氏の「技術関係資料」104点も、併せて文化財として指定すべきであろう。
(上記は指定時の文章です)