市指定文化財
石造題目笠塔婆
せきぞうだいもくかさとうば
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 建造物
- 数量
- 1基
- 所有者
- 光明寺
- 指定年月日
- 平成11年11月19日
- 指定番号
- 33
- 説明
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黒沢山光明寺奥の院の最奥平坦地に大師堂(平成元年建築)があり、同堂を取り巻く土塁斜面に狭いテラスをしつらえ、五輪塔や宝篋印塔が横並びに並べられている。その中の1基に、紀年銘のある題目笠塔婆があることは早くから知られていた。現状は、塔身上に別石の宝篋印塔の笠、さらに五輪塔の風・空輪を積み上げている。
花崗岩製で、塔身部は幅18.5×17cm、高さ40cmの小ぶりの方柱で、頂部面に直径7cm、高さ2.6cmの「ほぞ」とみられる半円形の突起があることから、笠塔婆であることがわかる。笠部とその上の宝珠、請花(うけばな)が失われているため、前記のように別石の残欠をのせたのだろう。
基礎部は幅26×25.5cm、高さ15.7cmで正面部は輪郭を巻いているが、火損のためか磨滅がひどく、内部に格狭間をいれていたかどうかよくわからない。また、基礎上部もとろけのため確定できないが、反花座(かえりはなざ)としていたことが考えられる。塔身は正面だけに輪郭を巻き他の3面は素面としており、正面に「妙法蓮華経」背面に「康永四年乙酉七月十三日」の刻銘がある。
こぢんまりした題目笠塔婆だが、銘文から南北朝時代前期の康永4年(1345年)に造立されたことが知られる。兵庫県下の在銘笠塔婆では、加古川市東神吉(かんき)町、妙願寺の嘉元3年(1305年)塔が最古で、以下書写山円教寺塔などがつづき、本塔は8番目の古さである。本堂跡地にある建武2年(1335年)在銘の宝篋印塔と共に、光明寺が鎌倉末期から南北朝期にかけて、寺勢が盛んだったことを示す貴重な遺物といえよう。
(上記は指定時の文章です)