市指定文化財
石造宝篋印塔
せきぞうほうきょういんとう
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 建造物
- 数量
- 1基
- 所有者
- 光明寺
- 指定年月日
- 平成11年11月19日
- 指定番号
- 32
- 説明
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黒沢山光明寺は、大同元年(806年)弘法大師開基と伝える古刹(こさつ)である。東有年の黒沢山(標高334m)の山頂に建ち、盛時には30数坊の塔頭(たっちゅう)をもつ大寺院だったという。現在の光明寺は、江戸時代後期の文政2年(1819年)に山裾の東有年字片山に移建され、山上の旧地は奥の院と称し、近年建てられた大師堂と庫裏を残すのみとなっている。
奥の院の旧本堂跡地は参道から左手やや高まった地にあり、その右手に宝篋印塔や五輪塔が、L字形にずらりと並べられている。いずれも平成元年(1989年)頃、住職が境内一帯に散在していたのを集めたもの。その中の1基の宝篋印塔から銘文が検出された。同塔は、本堂跡地から約100m下の塔頭跡地にあったという。
花崗岩製で相輪(そうりん)を欠失しており、現在は五輪塔の空・風輪部をのせているが、現高96.2cmの一般的な大きさ。笠部は上が6段、下が2段で、輪部を巻いた隅飾突起内にはそれぞれ月輪(がちりん)を刻み出し、中に梵字(ぼんじ)の「ア」を陰刻している。塔身各面には月輪内に胎蔵界四仏の種字(しゅじ)を刻み、基礎は四面とも輪郭を巻き、中に格狭間(こうざま)を入れ、正面格狭間内だけに開花蓮華を刻み出している。その正面の左束(つか)部に「金剛佛子良円」右束部に「建武二年亥乙五月日」の銘文がある。また基礎上端の2段の段型には、火損による剥離が目立つ。
建武2年(1335年)は南北朝最初期の年号で、各部様式もその時代相を示し、相輪を除きほぼ完存しているのは貴重といえよう。なお、兵庫県下の宝篋印塔で現在までに知られているものでは、本塔は第5位の古さを誇っている。
(上記は指定時の文章です)