市指定文化財
妙見寺観音堂
みょうけんじかんのんどう
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 建造物
- 数量
- 1棟
- 所有者
- 妙見寺
- 指定年月日
- 平成9年3月31日
- 指定番号
- 28
- 説明
- 1.妙見寺の由来と建物の沿革
- 妙見寺は天平勝宝頃に行基によって創建され、大同年中の空海の再興を経て、盛時には16坊5庵を抱えた大山岳寺院であったが、中世になって嘉吉の乱やその後の僧兵一揆で建物は悉く灰儘に帰したといわれている。
その後、明応3年(1494年)に再興され、近世には坂越港の繁栄とあいまって寺運も隆盛したが、明治の神仏分離令よりのちは衰退し今日に至っている。
当観音堂は万治2年(1659年)に、妙見寺の奥の院として宝珠山上に建立されたが、後大破し享保7年(1722年)に現在地に再建されたものである。 - 2.建物の構造形式と細部意匠
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1) 構造形式 : 桁行三間梁行三間、屋根一重宝形造り本瓦葺き、懸造り
2) 細部意匠- 基 礎 : 礎石自然石、外壁回り縁束石を除き布石。 軸 部 : 側柱、内外陣柱ともに円柱、床下部分は八角。拳鼻付き頭貫、内外に内法長押、切目長押。
- 柱間装置 : 桁行正面三間、梁行全面一間吹放ち。内外陣境三間共蔀戸、側面中央舞良戸引違い。背面三間、側面後寄リー間横板嵌込。
- 組 物 : 和様平三斗組拳鼻付、中備透蟇股とも実肘木を支える。
- 軒回り : 二重繁垂木、本負茅負とも反り付。隅木二重反り付。
- 内部天丼 : 内、外陣とも柱上和様出三斗組。内陣格天井、外陣竿天井。
- 床及び縁 : 内陣板敷き、外陣拭板敷き、縁四方切目板張。四方縁高欄。
- 屋 根 : 宝形造り本瓦葺き、稚児棟付き隅棟。鬼瓦据鳥衾雁振仕舞。箱大面熨斗、三方水煙付き宝珠。
- 塗 装 : 白木造、木口胡粉塗。
- 3.建築の特徴
- この建物の特徴は、近世寺社のなかでは全国的にも例の少ない懸造(かけづくり)の形式にあり、さらに外陣ならびに正面の縁から坂越湾の絶景が望めるよう、建物形式を活かして建設位置を巧みに選んでいることにある。
赤穂藩主が坂越へ遠乗りに出向いた際、昼食の場所にこの建物が用意されたことも、この建物から得られる眺望のためと考えられる。以下にあげる史料は現在赤穂市指定文化財となっている坂越浦会所ができる以前のもので、「二月十二日殿様当浦へ遠乗りニ御出被遊候御差紙候ニ付宮観音堂用意いたし置候 尤御弁当御構無之趣二付御供ノ御衆はかり酒肴用意いたし置候 云々」(「天明六年午極月より未六月十五日迄諸事覚日記会所」報徳会文書4の133)とあり、ここにあるように藩主がこの建物で休息することはなかったが、のちの天保時代に建設された会所には坂越湾を望む絶好の位置に「観海楼」と呼ぶ藩主専用の部屋が設けられている。
このことは坂越の人々にとって坂越湾の風景がいかに優れたものであり、いかにして この風景を建物に取り入れるかに関心があったことを示すものであろう。
この意味で妙見寺観音堂は懸造りという建築形式とともに、この形式を用いて坂越湾の風景を巧みに取り入れた建物として近世の貴重な遺構である。
参考文献
『坂越浦宝珠山妙見寺由来記』 宝珠山妙見寺修復事業協賛会 昭和54年1月
『修復事業報告書』 宝珠山妙見寺修復事業協賛会 昭和56年11月
(上記は指定時の文章です)