市指定文化財
尾崎・大塚古墳
(付)出土遺物12点及び『字大塚古墳調査書類綴り』
おさき・おおつかこふん
(つけたり)しゅつどいぶつじゅうにてんおよび『あざおおつかこふんちょうさしょるいつづり』
- 区分
- 史跡
- 種別
- 遺物包含地等の遺跡
- 数量
- 1基
- 所有者
- 赤穂市
- 指定年月日
- 平成8年3月29日
- 指定番号
- 26
- 説明
-
尾崎・大塚古墳は赤穂市の南東部に位置し、瀬戸内海に面した向山の南にのびる尾根上に立地する。
墳丘は著しく崩壊しており、その規模については明確でない。しかし、明治41年(1908年)の発掘調査記録『字大塚古墳調査書類綴』によれば、「周囲27間」、墳丘の高さ「1丈3尺」とあり、当時は墳丘径約15.6m、高さ3.9m余りであり、略測図から円墳と推察される。『赤穂市史』第4巻によれば、墳丘径約19mとされている。
西方に開口する両袖の横穴式石室があり、玄室は長さ4.1m、幅2.1m、高さ2.5mで、現存する羨道は長さ4.5m、幅1.3m、高さ1.25mを測る。玄室の天井部はわずかな持ち送りが見られ、奥壁は2段の巨石によって構成されている。石材は周辺で採掘可能な流紋岩系のものと思われる。『字大塚古墳調査書類綴』によれば、石室奥に石棚があったとされるが、現状では確認することはできない。
出土遺物については、須恵器はそう1点、須恵器杯数点、金環1点が出土したと伝えられているが、須恵器はそう1点、須恵器杯蓋4点、須恵器杯身4点、須恵器高杯蓋1点、須恵器壺蓋1点及び近年採取された須恵器甕が現存しており、金環については所在が明らかでない。これら出土遺物は6世紀後葉のものと判断され、古墳の築造時期を示唆すると考えて差し支えない。
尾崎・大塚古墳は、赤穂市域南部に残された両袖の横穴式石室を内部主体とする唯一の後期古墳であり、出土遺物12点及び『字大塚古墳調査書類綴』と共に赤穂市の歴史を考えるうえにおいて極めて貴重な文化財である。
(上記は指定時の文章です)