市指定文化財
黒尾須賀神社義士画像図絵馬及び奉納額
くろおすがじんじゃぎしがぞうずえまおよびほうのうがく
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 歴史資料
- 数量
- 50面
- 所有者
- 有年牟礼黒尾地区
- 指定年月日
- 平成8年3月29日
- 指定番号
- 22
- 説明
-
この義士画像図絵馬は、牟礼東村の「立花氏」の発起で、立花林兵衛・同伊三郎・柏木与三右衛門を世話人として調製され、嘉永2年(1849年)9月有年牟礼黒尾の須賀神社に奉納された絵馬である。義士絵馬49面と奉納額、合わせて50面が奉掲されており、絵師は京狩野派の菅原永得である。奉納者は、判明する限りでは立花姓17人(19面)、有年姓2人(7面)、柏木姓5人(5面)のほか、井田・平尾姓各1人(各1面)で、いずれも牟礼東村の住人であった。
それぞれの絵馬の法量には若干のばらつきが見られるが、額面縦約44.5cm、横約38cm、画面縦約36cm、横約29.5cm程度である。
長年風雨にさらされたため顔料は薄れ、文字も判読しがたくなっており、四十七士のうち推察できるものは46人であり、吉田忠左衛門の絵馬が欠落しているようである。また、49面の中には仇討ち前に死んだ矢頭長助・萱野三平・橋本久蔵の3人(3面)が「義士一列」の者として含まれている。
当地方で義士絵馬がいつ頃から作成されたか詳らかでないが、旧赤穂郡内に所在する24の神社に義士絵馬が奉納されて現存している。このうち21例は明治・大正期のもので、江戸時代のものは幕末期の3例と少なく、本絵馬が最も古いものである。
江戸時代に義士絵馬が奉納された神社の所在する3村の領主についてみると、牟礼東村・小河村は幕府領、木生谷村は赤穂藩領である。また、明治期の例をみても、義士絵馬を奉納した村は旧幕府領、旧尼崎藩領が多く、旧赤穂藩領はむしろ少ない。義士に対する敬仰が藩の領域を越え、明治期につながる国民的なものであったことをうかがわせる。
絵馬に記された義士の年齢や辞世の句等に誤りはあるが、芝居(忠臣蔵)の絵馬ではなく、史上の人物、義士を取り上げた絵馬であり、義士の町、赤穂市にとって格好の歴史資料として価値の高いものである。
(上記は指定時の文章です)