兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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市指定文化財
木造浅野赤穂藩主坐像 (付)厨子3基
もくぞうあさのあこうはんしゅざぞう(つけたり)ずしさんき

区分
有形文化財
種別
歴史資料
数量
3躰  (付) 厨子 3基
所有者
光浄寺
(管理者) 新田自治会  
指定年月日
平成7年5月25日
指定番号
20
説明
浅野家初代より三代にいたる藩主の木造坐像である。
  1. 浅野長直坐像(初代)
    像高 33.6p  ヒノキ寄木造  彩色  玉眼
  2. 浅野長友坐像(二代)
    像高 33.8p  ヒノキ寄木造  彩色  玉眼
  3. 浅野長矩坐像
    像高 32.6p  ヒノキ寄木造  彩色  玉眼
いずれの像にも像底に命日が記されている。すなわち
  1. 寛文十二年壬子七月二十四日
  2. 延宝三年乙卯正月二十六日
  3. 元禄十四年辛巳三月十四日
 初代と二代は体部が前後三材よりなり、頭部と烏帽子は別材で造られ、像底より首部の支えがつけられている。三代の像は前後二材で、頭部と烏帽子は一材からなり、像底より首部の支えはない。初代と二代の玉眼の嵌入法が異なるようではあるが、3躰の全体としての製作法とその表現から見て、初代と二代はほぼ同時期の頃の作、三代像は幾分時期が異なると考えられる。3躰ともに黒漆塗りの厨子におさめられているが、初代と二代の厨子の製作期は同時期と考えられ、三代像の厨子は、その形態や金具などを先の厨子より忠実に模したものと見られる。
 これら3躰の像を安置する光浄寺は、元文2年(1737年)創建されたことが明らかにされているが、この土地は当時広大な沼地であったようであり、赤穂初代藩主長直公が正保2年(1645年)に入封後、正保3年より干拓の事業に着手した。沼地干拓によって新田村を誕生させ住民の生活向上に意を尽くした浅野家三代の藩主の遺徳を敬慕して光浄寺のことを周辺地区の人々は「巧み(内匠)さん」と呼び、初代藩主長直公の命日にあたる8月24日には法要が営み続けられている。
 この3躰の藩主像は、その彫成及び表現から江戸期の肖像彫刻としては佳作であり、京都の仏師作家の手によって作製されたことが推定される。製作時期は18世紀後半頃と考えられ、美術・歴史資料としてたいへん貴重なものである。


(上記は指定時の文章です)

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巻頭写真1
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