兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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市指定文化財
旧坂越浦会所
きゅうさこしうらかいしょ

区分
有形文化財
種別
建造物
数量
1棟
所有者
赤穂市  
指定年月日
平成4年4月30日
指定番号
17
説明
  ◎ 遺構の概要
 本瓦葺二階建て、桁行七間 梁間四間、正面の入母屋屋根と切妻屋根との寄棟づくり、正面に梁間五間の入母屋屋根、梁間一間半、桁行一間の玄関庇が付く。
  • 建築年代
    天保3、4年(1832、1833年)頃。
  • 位置
    旧坂越村の中心であった本町の東端に、正面を港に向けて位置する。
  • 屋根
    本瓦葺、寄棟造り。切妻屋根の建物前面に奥行き二間の入母屋屋根の入り□が付く。軒は出桁で支持し、軒裏は化粧屋根裏である。
  • 外観
    高二階で一、二階とも真壁、梁間一間半の玄関庇が付く。
  • 平面
    桁行七間 梁間四間、正面に梁間五間(当初三間)。現状は一階は土間と根太床、二階は和室八室。
  ◎ 遺構解説
  1. 遺構関係史料
    本遺構に関する現在までに見ることのできた史料には以下のものがある。
    (1) 報徳会文書
      1) 「明和二年西四月甘四日 會所蔵建替諸事控」… 9の4
      2) 「明和二西年七月 會所蔵建督入用帳」… 同綴
      3) 「天保二卯年四月ヨリ 會所晋請諸入用書抜帳」… 9の1
      4) 會所日記
        「天明六年 諸事覚日記」(4の133)より
        「明治二年 諸事仮手控帳」(4の205)まで
    (2) 絵画史料
       「坂越浦(版画)」(嘉永年間)
    (3) 墨書銘
       昭和6年 棟札(公会堂に改修時のもの)
  2. 建築年代と遺構の性格
     この遺構は旧坂越村が所有していた会所であった。現存する江戸末期の会所日記(報徳会文書)では「会所」あるいは「浦会所」と記されており、ここでは建物名称を「坂越浦会所」とした。
     建築年代に関する史料には天保2年(1831年)2月の「会所晋請入用書抜帳」と昭和6年に公会堂に改修した際の棟札があり、棟札に記された「今去ル九拾年前・・・建築セル家屋也」の文言と先の文書史料の年代からみて、本遺構の建設が天保3、4年頃であったことがわかる。
     この遺構以前の会所がいかなる建物で村内のどの位置にあったのかは不明で、今後に新史料の発掘をまたねばならない。
     この遺構の特徴は村会所であると同時に、赤穂藩の茶屋の性格を合わせ持っていたことにある。天保以降の会所日記には藩主やその家族(「大御隠居様、若御隠居様」など)ならびに赤穂藩の奉行達が休憩や宿泊に利用していたことが記されている。藩主達は祭礼見物や釣りなど遊興のためにここで休息し、また奉行達は領内の巡察に宿泊あるいは休息していた。
     会所日記の記述によると、藩主達が利用する場合は「観海楼二入ル」など「観海楼」という字句が使われ、奉行達の場合は「会所」としか記されていない。この度の別添史料(部屋割りと間取り図)によって、はじめて「観海楼」が二階正面の西四畳半を指しており、この部屋は藩主達に専用のもので奉行達が決して使っていないことも明らかになった。このように藩主達に専用の部屋が併設されていたことは、この会所の大きな特徴である。


(上記は指定時の文章です)

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巻頭写真1
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