市指定文化財
花岳寺山門
かがくじさんもん
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 建造物
- 数量
- 1棟
- 所有者
- 花岳寺
- 指定年月日
- 平成1年3月30日
- 指定番号
- 13
- 説明
-
この山門はもと、備前(金比羅)街道の西町口に設けられた枡形付近の門で、いわゆる西惣門であった。これを明治6年に花岳寺の二十一代仙珪和尚が購入移築したものである。
移築した場所は、城主代々の菩提寺である花岳寺の南側正面であり、この門より南へ延びる町並は藩政期にあっては、城下有力町人や札座、町会所によって占められ、ここを墓参の大名行列が通るため御成道(おなりみち)とも称された。現在も、加里屋本町としてその面影をとどめ、山門はその町並にふさわしく映えている。
- (1) 山門の形式
- 本山門は、高麗門形式であって、明治時代中期の赤穂城古写真と比較すると、本丸・三之丸・大手の二の門(冠木門)・塩屋門等と似ているが、冠木の上を板壁としたり、棟木と出桁の間を吹抜けのままとしているなど若干の異なりがみられる。
- (2) 山門の状況 (移築の際に改変されたと思われる部分)
- 鏡柱・控柱の足下は、腐食のためか約三寸切捨られ、そのために柱全長は約三寸短かくなり、それに合わせて門扉の足下の部分も切除されている。
- 門両脇の袖塀部分と潜戸は、柄振板とともに移築時に新しく付加されたものと思われる。
- 門の主屋根は、棟木と出桁がその両端から垂木間一支半ほどの所で継ぎ足されている。これは、両端が一支半ほどずつ短かかったため継ぎ足されたものか、あるいは腐食部分を切捨てて、若干のばしたものかもしれない。
- 建材は栂を主としているが、移築の際に補修されたと思われる化粧野地板など一部杉材に変わっている部分がみられる。
- 参詣人の便のため、礎石上面にちかい高さまで敷石を張り、地覆(じふく)は外されている。
- 全体の風化度から推定して、新築から二百〜二百五十年ほど経過していると考えられる。
- (3) 山門の各部 (もとの状態の推定)
- 『鏡柱』は、柱の面取幅は三分、見付で二分ほどであったと思われる。柱の上端は棟木を挟みこみ、頂部木口は垂木勾配に合わせて斜めに裁断している。
鏡柱の外側面に残る掘穴跡は、西惣門当時の両側石垣上の、自壁の屋根の笠木または桁を挿入していた跡ではないかと思われる。 - 『門の正面幅』は、両鏡柱幅合わせて十二尺一寸三分、高さは十三尺八寸であるが、もとの高さはこれより約三寸高かったものと思われる。
- 『屋根』は本瓦葺であり、主屋根は片側に丸瓦が二十四列、平瓦が二十五列である。下り棟は置かず、けらばも欠き、また棟(鬼)瓦の上の鳥ぶすまもない。
棟瓦文様は鶴の丸、おがみ巴の文様はニツ巴、軒唐草、軒巴の瓦・文様は区々、そのうち鶴の丸瓦が最も古いと思われる。 - 切妻の部分は破風板のみで、おがみの下の懸魚などの装飾は一切みられない。
- 鏡柱と控柱の間にも切妻造の小屋根をかけ、門扉の雨ぬれを防いでいる。
- 『扉』は、表面横板張、裏面は縦に五本の桟を入れ、桟に買を四本通し、幕政期の一般的な扉形式である。
- 『飾金具』は、入八双、乳金物のみである。鉄門のような金具はみられない。
- 『鏡柱』は、柱の面取幅は三分、見付で二分ほどであったと思われる。柱の上端は棟木を挟みこみ、頂部木口は垂木勾配に合わせて斜めに裁断している。
- (4) まとめ
- この山門は西惣門の遺構であるため、山門に一般的な装飾部分が一切なく、素朴無骨で武家門の風格を備えている。
保存状況は良好といえるが、自動車が自由に出入するため、損傷の危険は大きいと思われる。
赤穂城付属の建築であるが、築城当時のものではなく、森家時代の建築と思われる。しかし城郭付属建築として唯一の遺構であり、市として史的価値の高い貴重な山門といえよう。
山門の位置は、城下の町並みに風情をそえている。
(上記は指定時の文章です)