兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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国指定文化財
赤穂城跡
あこうじょうあと

区分
記念物
種別
史跡
数量
190,405.17u
所有者
(管理団体)赤穂市
指定年月日
昭和46年3月31日
説明
 正保2年6月、浅野長直が松平(池田)輝興除封の後をうけて、常陸国笠間から転封、ここに全く新たに築城したものであって、苅屋城とも称され、浅野氏は 長友を経て長矩にいたり元禄14年3月断絶し、次いで同年9月永井氏元に代ったが、宝永3年正月転封、同年4月森氏八部、その後歴代相継いで明治維新に至った。
 城は、東近く千種川が南流し、南から西は海に臨んだ低地に営まれ、要害よく、本丸は海寄りに設けられて二之丸がその周囲をかこみ、二之丸を遮蔽してその北部から西部にかけて三之丸が広くとられている。
 縄張りは必ずしも巧妙とはいえないが、地形を利用して要を得たものと認められる。縄張りを行った近藤正純は、小幡景憲の門弟であって、大手門、水之手門附近その他において近世初期に発達した軍学の影響と認むべき手法が見られる。いま建物はすべて失なわれ、虎口、石垣、堀なども若干改変のあとがあり、殊に山鹿素行自ら縄張りを指導した二之丸虎口がその左右の石垣とともに全く湮滅しているのは、惜しめても余りあるところである。また、周辺の埋立によって地形はほとんど変っている。しかしながら、総体形態はよく遺存し、ことに軍学の手法をとり入れたものとして近世城郭史上価値ある遺跡である。

参考文献
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書1』 赤穂市教育委員会 昭和59年
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書2』 赤穂市教育委員会 昭和60年
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書3』 赤穂市教育委員会 昭和61年
『史跡赤穂城跡本丸石垣修理工事報告書』 赤穂市教育委員会 平成18年

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巻頭写真1
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−連絡先−
赤穂市教育委員会事務局文化財課文化財係
〒678-0292 兵庫県赤穂市加里屋81番地
TEL:0791-43-6962 FAX:0791-43-6895
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