県指定文化財
黒崎墓所(附)黒崎墓所記・妙道寺過去帳 1冊
くろさきぼしょ(つけたり)くろさきぼしょき・みょうどうじかこちょう いっさつ
- 区分
- 記念物
- 種別
- 史跡
- 数量
- 188uのうち131.82u
- 所有者
- 赤穂市
- 指定年月日
- H.4.3.24
- 指定番号
- 86
- 説明
-
近世、上方と瀬戸内・日本海を結ぶ西廻り航路の成立とともに、坂越は諸国廻船の入港盛んな地となった。それに伴い、航海中に坂越浦海域で海難に遭い、また病によってこの地に客死するものもあって、湾の西南端黒崎の地に、彼らの墓所“他所三昧”(船三昧)が作られた。坂越の船宿等を介して手続きがなされ、浄土真宗妙道寺=坂越字本町=に依頼して、そこに埋葬されたのである。(高野山旅僧の死亡の一例のみは真言宗妙見寺=坂越字宮本=が扱った。)
その記録である妙道寺の過去帳や関係浦状・取置証文等が残っており、また墓地にある墓石の銘も参考にすると、大方の埋葬者の名・在所などの概要がわかる。宝永7年〜文久2年(1710〜1862年)の間の判明する埋葬者は136人、その故郷は、南は薩摩種子島、西は対馬まで、日本海側は丹後・能登・越後・出羽、東は伊勢・尾張・伊豆にわたって29カ国に及び、赤穂以西の者が7割(九州の者が4割5分強)を占める。船頭・水主がほとんどであるが、旅の武士・僧ら便乗者も含まれていた。
文化4年(1807年)墓域が拡張きれ、同8年(1811年)には地蔵尊が安置された。そしてこの地に、縁者がそれぞれの郷里から運んで建てた墓石60余基が並ぶ。昭和55年(1980年)赤穂市教育委員会によって整地、修復がなされた。
当墓所は、確かな史料で裏付けされており、浦人の人情の温かさ、港坂越の歴史を物語る史跡として貴重である。
(上記は指定時の文章です)