県指定文化財
野田2号墳
のだにごうふん
- 区分
- 記念物
- 種別
- 史跡
- 数量
- 1基
- 所有者
- 須賀神社
(管理者)有年楢原野田地区 - 指定年月日
- 昭和61年3月25日
- 指定番号
- 69
- 説明
-
本古墳は、有年楢原字野田付近の裏山一帯に分布する野田古墳群の一つで、有年楢原野田地区の墓地内にある横穴式石室古墳である。また、背後に祗園山があるところから「祗園塚」とも呼ばれている。封土の大半は流失して、天井石が露出しているほか、石室の入口付近の天井石は一部欠けている。
石室は全長7.8m 、そのうち玄室は長さ3.12m 、幅1.77m 、高さ2.5mを測り、床一面に大きな山の平石を敷き詰めており、羨道面より20cm高くなっている。羨道は長さ4.78m 、幅1.48m 、高さ2.1m を測る。
また、玄室と羨道の間には、左側長さ46cm、幅26cm、右側長さ47cm、幅9cmの玄門(間仕切石)が側壁に接して立っている。玄間近くには前方に傾いているが、立てると玄門をほとんど閉鎖できる長さ1.35m 、幅85cm、厚さ18cmの扉石がある。
現在、扉石の残っているのは市内でもこの古墳のみである。羨道の入口には縦1m、横1.52m 、厚さ16cmの閉塞石が立っている。側壁は、この閉塞石の外にも続いている。
出土遺物は、須恵器11個体、耳環1点であり、須恵器には、坏蓋5点、坏身5点、壼1点、提瓶1点が認められる。
須恵器の坏は、ほとんど7世紀のものばかりであり、色は灰白色で焼成はよくないが、そのうち蓋と身がセットになるものや、底部に糸切文を残す平安期のものもある。壺は灰褐色で焼成は硬く、口径7.49cmで、胴部の最大径は14.9cmである。提瓶は黒褐色で、高さ23.5cm、胴部の最大径18.4cm、日径6.9cmでやや外開きになり、胴の肩部に左右長さ1cm、幅5oの鈎状の耳がついている。耳環は外径3cm、内径1.5cm、太さ3〜4oで青銅の中空管に銀メッキを施している。
これらの出土遺物から推察すると、この古墳の築造年代は古墳後期V(7世紀前半)と考えられるが、後に祭祀した痕もみられる。
本古墳は玄室の敷石、玄門、扉石、閉塞石、三角持送りなど特異な構造をもつ石室であり、播磨地方でも貴重な古墳であるといえる。
(上記は指定時の文章です)