兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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県指定文化財
赤穂八幡宮獅子舞
あこうはちまんぐうししまい

区分
民俗文化財
種別
無形民俗文化財
数量
所有者
尾崎獅子舞保存会
指定年月日
平成17年3月18日
指定番号
41
説明
  1 赤穂八幡宮獅子舞の概要
 尾崎の氏神、八幡宮の秋祭り(10月16日=ヨイミヤ・17日=ホンミヤ)に神前から馬場先とその先の広小路で行なわれる芸能である。秋祭り(ホンミヤ)は昼頃から尾崎頭人2人・中広頭人1人・加里屋頭人1人の順で神社からの繰り出しが始まり、午後2時頃まで行なわれる。このあと頭人児は広場の前、神社に面したところで獅子舞を見物する。
 拝殿の式が終了する頃には、獅子宿から雌雄のハナタカと雌雄の獅子の計四つが出る。拝殿前の階段で雌雄の獅子が向かい合って蹲る形で待機する。頭人の繰り出しが終わって獅子舞が始まる。先ず雌雄のハナタカが槍を右の小脇に抱え、前方に向けて水平にかまえる。左の背には朱鞘の刀を逆さに背負う。太鼓の調子に合わせてこのままの姿勢で馬場先の鳥居に向からて進む。最後は勢いよく太鼓橋に向けて走る。太鼓橋の上でも同じ所作をしばらく行なった後、鳥居を出、前の広場(広小路)で東から西へ西から東へと同じ踊りをし続ける。
 ハナタカが鳥居を出たころに獅子舞が始まる。これも同じ舞を太鼓橋まで続け、太鼓橋での舞である。鳥居を出るまでに約1時間かかる。ようやく、鳥居前の広場に出て東から西へ、西から東へと踊り続ける。ハナタカを中に、雌獅子(メンタ)は大回り雄獅子(オンタ)は小回りをする。
 最後に「神楽」といって広場の西端の筵を敷いたところで、ハナタカと獅子が戯れる舞をする。獅子は野獅子といい、地を這うように舞う。ハナタカはこの獅子を目覚めさせるような演技をする。いずれも太鼓の音だけで舞い、獅子舞が終わるのは午後4時頃である。
 広場前の獅子舞が終わってから、神功皇后が船を寄せたという宝崎(お旅所)へ、頭人を先頭にノット入りの行列がある。ノットは祝詞石で、宝崎の大岩石がそれである。午後5時頃からここでも獅子舞を行ない、午後6時頃にノットを出発して帰る。宮入は午後6時半頃で獅子舞は終わる。
  2 由来
 赤穂八幡宮は池田輝政によって真木村銭戸島に祀られたものであったが、慶長10年(1605)に現在の場所に移されたものと伝えている。以来、赤穂藩から崇敬を受けた。当初、祭礼は頭人と神輿の行列であったものが、次第に現在のような形態をとるようになったと伝えている。
 近年まで10月15日が本宮であったが、現在は毎年10月の第3日曜日(15日より後の近い日曜日)に祭礼は行なわれている。もとは旧の8月15日の祭りであったが、9月15日になり、10月15日となった。稽古は9月25日に獅子宿で始め、以後休みなく行なう。5日間はノットで練習、最後の15日は八幡宮境内で練習する。頭人宿でもこの日から祭りの諸道具を床に飾る。
 なお、寛文元年(1661)には四月頭、八月頭があり、元禄15年(1702)には祭礼に練り物・踊り・母衣・笠・鉾などが出ている。正徳5年(1715)には坂越浦からも頭人を出したとある。文化13年(1816)には壇尻、天保13年(1842)には賑物があった。獅子舞は寛文2年(1662)の「神幸式次第」が文献としての初見である。元禄元年(1688)に獅子を新調したとある。現在、当日に出す「本太鼓」内の銘によると貞享時代のものである。
 獅子舞は毎年、秋祭りの「ノット」までの神幸式に演じられた。ただし、貞享5年(1668)「八幡宮神事行列次第」にはハナタカがない。天保10年(1839)の「八幡宮神輿出御供奉之次第」には「露払」が出る。明治11年(1879)の「供奉次第」には露払・太鼓・獅子頭の順で出てくる。さらに大正5年の「供奉次第」には露払2人が並べて書かれ、それに太鼓がつく。つづいて獅子頭2つが並べて記載されている。
 昭和11年の「八幡神社神幸式順序」には「露払二人、太鼓、獅子頭二頭」と書かれているので、露払がハナタカということになるのであろうか。この時のハナタカ、獅子舞の芸態がわからないのが残念である。太平洋戦争終結後、1年置いて有志5人の間で獅子舞が復活した。全員新人であったが、宰領を務めていた方から教えてもらったという。屋台はオキナカシが担いでいた。
  3 芸能と構成
【芸能】
 獅子舞の練習は、総宰領の判断で、本宮(ホンミヤ)よりおおよそ25日前から開始する。練習初日に総宰領の家(獅子宿)に新規加入者、参加者を集めて会食し、翌日の午後7時頃から獅子宿で練習する。練習用の獅子頭を使用して練習をする。大体、要領が呑み込める段階になると、宮の境内に場所を移して練習する。
 本宮前日の宵宮には、練習の総仕上げという意味で「道中舞」を本宮のとおりに舞う。但し、「まだ神輿の露祓いを承っていない」とのことで、祭礼当日の衣装を着けない。ハナタカは晒しの揮姿で舞う。これを「仕上げ舞」といい、約2時間程かかる。
 打ち出し(一番太鼓)は約5秒に1度叩き、それを約7分間続ける。二番太鼓は一・二・三でドンと叩き、これも約5分間続ける。三番太鼓は打ち出しの腕の見せ所であり、約3分間、せりあがるように叩く。7分間・5分間・3分間ずつ叩くので「七・五・三で叩く」と呼び習わしている。その後、ココデン ココデンと叩き、ハナタカが太鼓橋のところにアシを掛けると、最後の「三」の太鼓のリズムは早くなる。
 「道中舞」が終わると、神社の傍にある獅子宿で一晩かけて、宰領たちが獅子頭やハナタカなどの髪の毛(白紙で作る)をすべて付け替える。最後に神職が請けてきた小さな御幣を獅子頭の梵天の中に、ハナタカ面は後ろに垂れ下がるなかに取り付ける。付けると「聖なるもの」となり、獅子組の者しか触れることができない。この飾り付けに明け方までかかることがある。
 この間、太鼓打ちは本番用の躑躅胴の太鼓を屋台に縛りつける作業をする。おわると、ウチダシが練習にかかる。この時のドンという合図で宮司が清酒を1本持参してくる。
 祭礼当日、午前7時頃に獅子宿で祭りの合図の太鼓を打つ。まず3地区の頭人の家(今は公民館)へ獅子が行き、そこで祝儀の舞がカド(家の前)と座敷の2回、舞われる。家の前では一番熟練した者が舞い、座敷では翌年の舞子の中での最長老が舞う。祝儀の舞が終わると獅子頭は床に飾られる。昼になるといったん獅子は帰るが、その際、床に飾っていた獅子を頭屋から出すときはマエダシ(太鼓役)と太鼓橋で獅子を舞う者が雄雌を「打ち出し」て舞をして後、宰領が玄関まで運び、獅子の舞い子がこれを受け取る。
 これがあって後、昼に宿から頭人の繰り出しがある。そして神社での神事である。獅子の舞い子・ハナタカ・太鼓打ちもこれに参加する。
 「打ち出し」は午後2時頃となる。神殿正面の階段上に太鼓屋台を据え、第一段目に「打ち出し」、二段目に「下打ち」が位置する。三段目より下の段には神殿から見て左に雌、右に雄の獅子が顎を階段に預け、鼻を突き合わせて頭を並べ、長々と八の字に寝そべる。ハナタカは階段下で槍を右の小脇に抱え、水平にして前方に向けてかまえる。左肩背後にまっすぐ立てた刃先を上にした刀を、左手で柄をしっかりと握り、前方を向いて並び立つ。メンタは常に向かって右、オンタはやや向かって左の下で立つ。ツライチにならないようにする。
 ドンドン ドンデンドン(右左右、右2回)の「打ち出し」太鼓の1曲約15分間はそのままの状態である。その間、ハナタカは膝を高くあげ、跳ねるようにして同じ位置で跳び続ける。打ち出しの太鼓が終わると道中舞となる。太鼓に合わせてハナタカが2人並んだまま飛ぶように10mばかり前進して同じ位置で太鼓に合わせて跳び続ける。ハナタカは両膝で大きく前垂れを蹴上げる形で「跳ぶ」。それを「股の付け根が黒くなるぐらいあげよ」と表現している。
 続いてゆっくりと雌獅子がまず立ち上がり、頭を左右に振り、またゆっくりと3、4歩進み顧みて雄獅子を促す。雄獅子は立ち上がり雌獅子に続いて行く。頭取り(前足)は両手で獅子頭の顎の所(カバチ)を持ち、獅子頭の顎の下に自分の頭を置くような格好で常に自分の頭より高く支えて獅子頭を持ち、太鼓の調子に合わせて獅子頭を前後左右に振りながらすすむ。後振り(後ろ足)は終始屈みこんだ姿勢で、右手を後に廻して、幌の中から馬毛のしっぽを振りながら、ほとんど四つん這いの格好で頭取りの進退に呼吸を合わせる。
 初めは「乱れ」があり、雌獅子はハナタカに噛み付くような動作も見せる。石の反り橋辺りで雌雄の獅子が華やかに絡みあう。このとき、獅子が蚤を噛んでいる様を表現したノミカミという芸をする。毛繕いともいう。獅子の交替はすべて「ヤ」の声である。
 道中舞は鳥居の外の広場(広小路)に出て隈なくめぐる。メンタは大回りといい、広小路を1周する。オンタは広小路半周の小回りである。その間もハナタカは同じく鳥居の外の広場(広小路)で東西を踊りながら往復し続ける。
 やがて、鳥居の前の広場の西側の隅、神輿の鎮座する場所で入念に祓いの舞をする。ここでは「はなだか」・「はしとり」・「つなぎ」・「しずめ」の4曲の神楽を舞う。これを曲舞い(カグラマイ)という。
 カグラマイでは、ハナタカとメンタの獅子がからむ。寝る獅子(ノジシ)をハナタカが左の片足で跳びながら起こす仕草をするのである。まずメンタの獅子が東側に位置し、腰に赤鞘の刀を腰の後ろに下げたハナタカは、両手にはシデ(白紙)を持ち西側に向かい立つ。ハナタカは、この間、右足を左足の前にかけて片足で跳び続けている。そして、ハナタカはシデをふって獅子を挑発する。両者は中央に歩み寄る。ハナタカは獅子に寄りかかるようにして獅子と共に西側に移る。
 ここでまたハナタカは東南の隅に移り、両者は南北で向かいあう。ハナタカは獅子を挑発し、両者が中央で出会い、またハナタカは獅子に寄りかかるようにして東南の隅に移る。これを西南の隅、西北の隅と繰り返していく。この間、オンタの獅子は広小路で舞い続けている。これが終了すると、獅子は肩車にされて鳥居を八の字に4回、「舐めるように」まわった後、獅子宿に戻る。
 ところで獅子舞の舞い子はあらかじめ交代する場所がきめられ交代しているが、天狗(ハナタカ)は1本足であるため、片足で獅子の相手になるのである。そこで両足を地につけてはいけないといい、休む時も右足か左足を上げ跳び続ける。しかも最初から最後まで人が変わることがないので、終わる頃になると酸欠状態となり、救急車のお世話になることがままある。
 太鼓台はいつもハナタカの傍にあり、太鼓役は鳥居を出るまでは2人で打ち続けなければならない。ただし、万一の時のみは太鼓役の宰領が打ってもよい。また、鳥居を出るまでは、ハナタカ・獅子ともに無言で演じなければならない。宰領も同じである。観衆への誘導や獅子・ハナタカヘの指示も手に持つ青竹で行う。「神幸式の進行は獅子が司るもの」とされていることから、神輿の楽人も獅子が鳥居を出るまでは演奏を控えている。
 午後5時頃ノット入りとなる。尾崎の頭人・雌雄のハナタカ・メンタの獅子・オンタの獅子・宰領五人・ナギナタ持ちの順で、神輿のおともとしてお旅所のノット(宝崎神社)に行く。ただし、中広頭人・加里屋頭人は自分の地域に帰る。
 雌雄のハナタカは並んで跳ぶ。雌雄の獅子の道中舞なども先と異なって軽い調子で舞う。ハナタカも両膝で前垂れを蹴上げるようなことはせず、太鼓の調子に合わせて軽くステップを踏む程度でノットまで進む。ただ、曲がり角だけは太鼓役2人が打つことになっている。
 ノットでは神輿の御座所と社の前で神楽舞を奉納する。帰途も同様に道中舞を続け、最後に拝殿前で神楽舞を奉納する。終わると獅子舞諸衆は伊勢音頭を歌いながら、そろって鳥居を出、新規加入者の親への披露目の意をこめて、当年新たに獅子舞に参加した者の家へ行って舞う。
【 用具 】
 ・ 獅子一式(獅子頭・練習用獅子頭)2組
 ・ ハナタカー式(ハナタカ面・衣装・足袋・草履・手甲・刀・槍)2組
 ・ 舞子一式(衣装・頬かむり・伊達巻・手甲・足袋・草履)
 ・ 宰領一式(羽織・袴・足袋・雪駄)
 ・ 太鼓(太鼓1台・撥10本・太鼓締め綱 [腹巻] )
 ・ 飾りつけ一式(幕・御幣)
  (1) 獅子頭
     雌雄1頭ずつの計2頭で、楠の木製黒漆塗り、全長45cm、幅37cm、高さ20cm(耳含まず)で重量4貫目(16kg)を計る。播磨では、赤漆が多い中での黒漆の獅子であり、黒漆で口が開かない。獅子頭の制作年代は江戸前期と推定される。他に練習用の獅子頭がある。
     頭頂部には頭よりも高さが数倍もある仙花紙の梵天(幣束=髪の毛)が結わえられる。20cm四方の紙を三つ折にし、これを3枚束ねたものをタコ糸で括って一組とする。これを獅子頭の頂上から左右交互に重ねていき、その途中で正面にもたらすように重ねる。重ねて40cmほどの長さになると、この中に紙で作った枕を巻きつけ、獅子頭の頂上後ろのところで縛りつける。これだけで重さ1貫目ほどになる。もと梵天はこの3倍ほどあったという。そして耳に当たる部分の左右に鈴をつける。獅子頭の顎のことをカバチと呼び、「カバチを左に倒せとか右に倒せ」とか言う。また、「カバチを絞めろ」と言うのは「獅子頭を下げよ」の意味で使われる。
  (2) 胴幌
     背には数条の山形のたてがみ、一面に獅子毛と小円の散らし模様を染め抜いており、メンタは紺染め、オンタは茶染めの麻布、馬尾毛一尺ほどの尾をつけている。
  (3) ハナタカ面
     雌雄1面ずつの計2面で、赤漆塗りの天狗面である。頭頂部には脹脛にまで達する長い梵天(幣束)がゆわえられる。13枚一括りを15ぐらいつける。面には白紙を角のように巻いたものを(ツノガミともツノカクシともいう)3本を立てている
  (4) ハナタカの服装
     元禄模様の着物、茶花模様のたっつけ袴、茶がすりの二幅の前垂れ、豆絞りの長い桁紐の襷を背に結んで垂れ、紺の手甲、白足袋に草鞋をはく。長さ約1.6mの槍を右手の小脇に抱え、人差し指を捻るようにして槍の柄に挟みしっかりと握る。左手は後に向けてまっすぐにさげ、刃先を上にして左の背中に立てて背負った朱鞘の刀の柄を握る。
  (5) 太鼓
     径一尺二寸(36cm)の鋲打ち張り太鼓はツツジの刳り貫き材である。宮出しの時だけに使用される。太鼓台は勾欄付屋形で、そこに桐・三つ巴の紋の幕を張っている。撥は10本ある。長さ一尺三寸(40cm)に及ぶ。太鼓締め縄(腹巻とよぶ)は約十六間(30m)である。このロープを太鼓の胴体の部分に巻いて、屋形の上にある鍵に廻して固定する。残りのロープを太鼓の上下に「八の字」に廻すようにしながら徐々に縛り付ける。太鼓の宰領が中心となり縛り付ける。
     太鼓の中には「宝暦十三年未年□上ご神前 寛延二年巳年吉日 寛保二年 神宮寺  正覚卜申ス 播州赤穂尾崎」 八幡宮」 神宮寺 巳未年」 摂州大坂村□□村 八月吉日たつ七月」という銘がある。(宝暦13年:1763年、寛延2年:1749年、寛保2年:1742年)
【構成】
  (1) 舞い子
     10名。年若の者がなる。胴幌と同生地の筒袖半纏に股引、黄・紅・白の紐を三つ組みとした力綱を腰に締める。手甲は浅葱、白足袋に草鞋ばき、頬被りである。雌雄の獅子に5名ずつ分かれる。獅子は2人立ちであり、途中交替をする。舞い子の交替は「ヤ」の一声でする。
     舞い子は「雄獅子五年、雌獅子十年」といわれ、最初は雄獅子5年を勤め、その後、雌獅子5年を勤める。獅子組をオンニャンと呼び習わしている。
  (2) 太鼓打ち
     「打ち出し」と「下打ち」の2名。海老茶色の小紋形染めの着物を着ている。派手な友禅の二幅の前垂れ、水色の襷、赤の手甲、赤布のほほ被り、白足袋、藁草履をつける。舞い子を終えたもののみが太鼓の役につくことができ、1年目の太鼓を打つ者をシタウチといい、2年目の者をウチダシという。ここでも交代は「ヤ」の声で行う。
  (3) 獅子組宰領
     資格は雄獅子5年、雌獅子5年、太鼓2年の計12年勤めた者である。そして、1年目は雄獅子の、翌年に雌獅子の宰領を勤めた者が総宰領となる。服装は黒紋付羽織袴で、白足袋、雪駄を履き、青竹の杖を持つ。総宰領を務めた者は神輿のナギナタカツギの役を担う。
  (4) ハナタカ総宰領
     資格はハナタカ3年を勤めた者で、4年目から宰領となることができる。服装は黒紋付羽織袴で、白足袋、雪駄、青竹の杖を持つ。
     ハナタカの役と獅子舞の役との交流はない。体力がいるので7年間も跳んだ者がいたという。年数を指定するということではなかった。
  4 保存会
 保存会は獅子舞の保護・継承することを目的として結成され、事務所を八幡宮内に置いている。保存会の実行部は獅子舞を実行する17歳ぐらいから25歳くらいまでの青少年グループと、それを維持経営する26歳から37歳の青壮年グループに分かれている。会員の総会でえらばれた会長(37歳)・会計(32歳)・監事(28歳)が経営のグループであった。
 また、宮司以下7名の顧間と17名の参与(17の自治会長)団が全体の動きを分担して見ている。保存会運動の経費は祭礼の寄付などによって賄われている。現在、獅子が地区まわりをし、金などを集めることはないというが、ひと昔前には11月10日のコンピラサンの前日に1日中、尾崎地区100軒のうち獅子を出した家を暗くなるまで廻ってハナを集めたという。今はハナを出した家のみをまわっている。
 尾崎地区の伝承意欲は極めて高い。毎年1人の保存会入会の順番を待つ少年が多いことと、獅子の元宰領が子供獅子舞を組織していること、小さな子供が太鼓に合わせて踊る姿のあることによってそれをうかがい知ることができる。

  5 評価
獅子頭の形は、平たく日は固定されている。中国・四国系の獅子頭に若干似た権現頭系のものと思われ、周辺では見られない非常に数少ない珍しいものと考えられる。太鼓のみの囃子で舞われる。
 2人立ちである。頭取りは両手で顎(カバチ)のところを持ち、終始、権現頭を自分の頭より高く支えて舞う。後振りは終始かがみこんだ姿勢で、ほとんど四つん這いになって、頭取の進退に呼吸を合わせる。獅子の胴がたるまないようにして調子を合わせる。舞い人は雄獅子5年、雌獅子5年といい、10年勤める。雄獅子の後振りからはじめる。ハナタカは2年で終わる。そしてハナタカは太鼓打ちにはなれない。
 神社前の広場で筵を敷いて行なわれる神楽舞よりも、道中舞が中心といい、これが獅子舞の中心をなしているという。また、神幸道中での獅子舞の権限も非常に大きなものとなっている。
 雌雄のハナタカは獅子の道中舞の先導であるというが、華やかである。しかも交代なしで最後まで踊り通さなければならないので、このハナタカの踊りは獅子の舞と合わせての舞は迫力のある芸能となっている。見る者に大きな感動を与えている。
 さらには雌雄のハナタカも獅子もメンタがオンタの「面倒を見よ」という。「やり合わせ」などもメンタの方があわせる。これはメンタの方が先輩ということもある。太鼓叩きも女性の衣装・袋帯でする。太鼓たたきの家が衣装を用意する。ただし、新しい帯は前掛けのように使用するので括りにくい。一般的にメンタの方がカラフルでいいものを着る。
 獅子は雌雄2頭の野獅子からなり、はじめ眠っている獅子を太鼓の打ち出しにより目覚めさせ、勇壮なハナタカに誘導され頭を左右に振って、前方の悪霊を祓い清めながら進行する。特に神輿の進行途中で休息するところでは入念に祓いの舞を行なう。このようにハナタカの果たす役割が大きいことと、道中舞が中心となることがこの獅子舞の特徴であり、見せ場である。
 市内および周辺に伊勢系の神楽の多い中に、この赤穂八幡宮獅子舞はハナタカを含めて特殊な存在となっている。後世に伝え残すべき貴重な民俗芸能と判断する。

参考文献
『平成16年度指定 兵庫県文化財調査報告書』 兵庫県教育委員会 平成17年7月


(上記は指定時の文章です)

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巻頭写真1
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