県指定文化財
旧日本専売公社赤穂支局
きゅうにほんせんばいこうしゃあこうしきょく
- 区分
- 有形文化財
- 種別
- 建造物
- 数量
- 3棟
- 所有者
- 赤穂市(管理者)民俗資料館
- 指定年月日
- 昭和61年3月25日
- 指定番号
- 197
- 説明
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昭和49年(1974年)5月に、旧事務所・旧文書庫・旧塩倉庫などが赤穂市に譲渡され、昭和57年(1982年)12月に整備改装のうえ民俗資料館として開館したものである。現在、旧事務所は本館に、旧文書庫は資料庫に、塩倉庫は収蔵庫に利用されている。(一部渡り廊下付)
赤穂の塩は、奈良時代以来の歴史をもっている。明治38年塩専売法の施行により大蔵省赤穂塩務局が設置され、同時に庁舎や塩倉庫などの建築が開始され、明治41年6月に完成している。このことは専売公社の文書(注1)及び明治40年12月の工事写真現景などから明らかになっている。現存の本館などの建物はいずれも当時の建築であって、その保存状況もよく、日本最古の塩務局庁舎一連の遺構として、また明治建築史上においても特異な建造物として貴重であると考えられる。
- 1.本 館 (旧事務所棟)
- 木造2階建 棧瓦葺
(1階 462.96u 2階 121.42u)
事務室を中央に西に営業部分、東に管理部分を配し、南(裏方)に分析棟を接続し、管理部分の2階には研修室(元は会議室か)をもつ。
また東北隅の玄関上は吹き抜けの採光塔とし、複雑な平面機能をよくまとめている。数ヶ所の出入口のうち、特に主玄関と東の管理部分への通用口は意匠上注目される。前者は、北と西面にアーチ状の庇をかけ、扉に華麗な鉄格子をはめ、内部の2階部分にギャラリーを廻して、上階の窓から採光される。後者は左右に強い胴張りのイオニア柱を立てて上部をアーチ状にし、扉は同様に装飾した鉄格子を持つ。
なお、玄館塔2階の手摺は、巧みな曲線をもつ鉄製で、アールヌーボ(注2)的な表現がみられる。外壁は、すべて下見板張である。内部にも巧妙な意匠がみられる。特に事務室の天丼のメダイヨン(注3)は、木製で平担さを破り、木製の手摺の装飾をはじめ階段の意匠も優れている。また、2階の研修室の天井は、ハンマービーム(注4)という珍しい手法を用いている。
なお、小屋組はすべて洋小屋であるが、後の補強材も混入されている。さて、これらの複雑な平面構成を支える屋根も、四柱・切妻・入母屋・寄棟等和式屋根形をすべて整え、日本瓦で葺かれている。こうした外観は応々にして不均衡になりがちであるが、実に見事に統一されており、左右非対称形な構成とともに、一見、ピクチャーレスク(注5)風な風格を見せている。
この建築担当者としては、地元棟梁山本近治他数名の名前や大蔵省監督・検査官の名前が判明している。しかし設計に関しては、恐らく中央の大蔵省臨時建築部の相当なる建築家によるものと推測される。塩務局としては恐らく現存唯一の遺構であり、その特異な機能を見事にまとめたもので、当時としては第一級の建築であったと思われ、日本近代建築史上重要な位置づけがされるべきと思われる。 - 2.資 料 館 (旧文書庫)
- 煉瓦造2階建 棧瓦葺
(1階 38.51u 2階 38.51u 前庇19.26u付)
小屋組は真東小屋組切妻造棧瓦葺 - 3.渡り廊下
- 木造平屋建 棧瓦葺
- 4.収 蔵 庫 (旧塩倉庫)
- 木造平屋建下見板張棧瓦葺
(297.46u)
小屋組には、和小屋に筋違いを入れたもので、元中央列にあった柱を撤去したために小屋組は補強されて変形している。外壁も建築当時は所々に出入口を設けていたが、現在は出入口を1箇所残し、殆んど壁になっている。
本館以外の建造物も、本館と同時竣工時のものであり、設立時の塩務局の状況を知るうえで重要と考えられ、本館と一括して指定することが望しい。
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(注1)文 書・・・・・『専売公社事業概要』
(注2)アールヌーボ・・・・19世紀末以降フランスにおいて起った新建築様式のこと
(注3)メ ダ イ ヨ ン・・・・・円形浮彫
(注4)ハンマービーム・・・屋根材を支えるために向かい合った壁の上部から水平に突き出した槌梁
(注5)ピクチャーレスク・・絵のような色彩に富んだ
(上記は指定時の文章です)