新たに文化財標柱を設置しました!
赤穂市教育委員会では、文化財の普及・啓発のために、文化財名称と簡単な案内文を記載した標柱を市内各所に設置しています。今回は、平成24年12月27日に新たに標柱を設置した2ヶ所の文化財を紹介いたします。
まず、「尾崎・坂越山論石塁跡」です。
元禄8年(1595年)、尾崎村の者が坂越浦の南側、「丸山」と呼ばれる場所で松枝を刈っているとの届けが坂越村に入りました。このことを発端として、坂越村は赤穂藩へ吟味願いを提出、訴訟となりました。江戸時代には、山林を所有する村がそこから薪や肥料にする木材や落ち葉を調達できたため、このような争いが起きたのです。この争いは114年間も続き、文化8年(1809年)にようやく和解が成立します。そして、両村の境界線が石塁によって築かれました。
現在も、山を登れば当時の境界線に石塁が残されています。そこで、その登山口に文化財標柱を設置しました。皆さまも機会がありましたら、ぜひご見学ください。
もう一つは、「小坂の地蔵」です。
明治25年(1892)、7月22日より25日まで降り続いた雨により、千種川各所(339ヶ所)が堤防決壊を起こし、未曾有の大洪水となり、89名の尊い命が失われました。
水害から1年後の明治26年9月に「89人の霊安らかに」と、槙(現在の真木)の宮本嘉平・イトご夫妻を中心に建立された、千種川を守る地蔵です。
堂内には、高さ62cmの坐像が安置されています。
このような、地域に埋もれた文化遺産を今後も保存していくことが、赤穂市の歴史を守ることに繋がります。
皆さまも、ぜひ訪れてみてください。