■赤穂城下町こぼれ話 その2■
厳しく管理された計量道具
■現在、みなさんがモノの重さを測るとき、使うのはなんでしょう。体重計?はかり?とかですね。そして、重さの単位はグラムやキログラムだと思います。
■日本が、グラムやキログラムを重さの基本と決めたのは、1921(大正10)年のことでした。つまり、それ以前は基本でなかったわけです。それまでは、尺貫も多く使われていました。江戸時代は、尺貫や匁(もんめ)が使われていました。
■赤穂城下町跡の発掘調査で、こんな遺物が見つかりました。棒に筒状の金属がつけられているもの。なんだと思いますか?よーく観察してみると、、、、、。
上の目盛りは、1mmです。
■細かく目盛りがつけられています。これは、棒はかり、桿秤(さおばかり)と呼ばれるもので、江戸時代の商売人が一般的に使っていたものです。皆さんが秤と聞いて思い浮かぶ天秤は、両替商が主に使ったものです。
■この秤の目盛りの幅は、実は西日本全体で同じなのです。江戸時代、天秤を除く秤は、購入から修理にいたるまでほぼすべての活動が自由にできず、西日本は神(じん)家に管理されていました。そのため、見つかった棒はかりも赤穂で作られたものではなく、産地である京都から運ばれてきたものなのです。
■なぜこのような面倒くさいことがされているのでしょうか。このような秤の管理は、豊臣秀吉の時代から行われてきました。全国的な経済流通が活発になるにつれ、重さが一定にならないと貨幣も安定しないのが一つの原因でしょう。たとえば今の日本で、1mという長さがバラバラになったらどうなるのでしょう。契約書に1mと書いた長さが考えていた長さと異なったら、とても困りますね。1,000円札の大きささえ一定にできなければ、とてもとても困ります。長さ、重さがバラバラということは、おそらくお金の価値もバラバラになることでしょう。
■現在も行われているように、ある基準を作るというのは、国の重要な施策ということになります。改めて、全国を統一して200年間以上も平和をもたらした、江戸幕府の政治力を考えさせられます。