■赤穂城下町こぼれ話 その1■
400年前の地面は1mも下だった!?
■現市街地のある加里屋地域は、江戸時代に赤穂城下町として栄えたところです。現在は遺跡として「赤穂城下町跡」と呼ばれ、開発によって当時の生活面が壊されるときには発掘調査を行っています。
■発掘調査の結果、江戸時代の地面は最も深いところで1m以上も下にあることがわかりました。そしてその上に、人々が生活した地面が何重にも重なって見つかったのです。
■普通、弥生時代の遺跡などでは、川が運んできた土によってせいぜい30cmくらいしか埋まりませんが、赤穂城下町跡の場合は1m以上も埋まっています。なぜなのでしょうか。
■これには、江戸時代の人々の苦労と汗が詰まっていると考えています。江戸時代がはじまったころの400年前、当時の地面は標高で約1mでした。その後、1650年くらいに1度、1800年くらいにもう1度、大きな造成が行われたことがわかっています。
■古文献を紐解くと、当時の赤穂はたびたび多大な洪水被害にみまわれていました。文献に残っている大災害だけでも、1672年から1764年のおよそ100年間で18回も数えられています。つまり5年に1回は洪水による大被害があったということです。
■しかし1807年の大被害を最後に、水害はおよそ100年に1回の割合になりました。水防事業の完成を見た時期になるのでしょう。その後記録に残る災害は、1892年の明治大水害、1976年の台風17号洪水、2004年の台風被害となります。
■このように、皆さんが何気なく暮らしている今の地面は、江戸時代の人々の努力によって造成された結果、災害から守られているということがわかります。現在と過去とがつながる瞬間です。
造成の土に捨てられた陶磁器類